Img_aa8934becfc18f62ba070a957fbb0933
Img_852d305f4ec788bafc99d1bc5bb436f6
Img_a81263ce95f769fa766e7d3fee6f7e99
日本に帰りました。四週間の旅、疲れたといえば疲れました。筋肉痛と時差ボケが重なる独特の疲労感です、疲労が大体抜けるのに一週間掛かります。
さて、帰国前日の出来事。何時ものようにロンドンのQueenswayにあるWaitroseに紅茶などを買いに出掛けました。ここのWaitrose(ウェイトローズ)の入り口には何時もBig Issue(ホームレスの人が販売する雑誌)を売る人が立っています。去年の12月の頭に立ち寄ったときは中年の男性が立っていて、Big Issueを買うと、彼が「あなたにクリスマスプレゼントがあります」と言いながら携帯用ティッシュを手渡されました。イギリスでは携帯用ティッシュは買うと高いので、申し訳ないな、と思った記憶があります。そして今回は若い黒人の女性がいました。買い物の帰りに寄ったのですが手持ちの小銭が全くなく、持っていたのは20ポンド札だけ。一冊買い求め、彼女に20ポンド札しかないことを謝りながら告げると、彼女は財布を開いてお釣りの17ポンド50ペンスを揃えようとするのですが、掌にあるのは16ポンド50ペンスのように見えて、二人して彼女の手の中を覗き込んでいたそのときです。通りがかりの60くらいの白人のおじさんがたまたまいつもそうしているかのような仕草で、彼女のほうに手を伸ばして1ポンド恵んでくれたのです。彼は本当に通過しただけですから、お釣りが1ポンド足りないことなど知るわけもありません。 が、この1ポンドコインを彼女のほうは彼の出現をまるで待っていたかのように何気なく受け取ると、僕に渡すお釣りが偶然にも出来た訳です。一瞬の出来事でした。
もう僕はこの偶然にびっくり、上から神様が僕たちを見てらっしゃるのかしら、と思えるくらいの偶然の出来事。またはまるで映画のワンシーンを人たちが演じているような上手く出来過ぎの光景。
とにかくびっくりでした。
その1ポンドおじさん、なかなか素敵な顔してました。
Img_dd47e3f12ef044d0db74a7987d395855
Img_c539f8c6af9f86b4c3a0226609e8bc7f
Img_0309f820b0eccc3dc79ed2f130684572
いつも写真は仕入れで歩いている時ふと目にとまったものを撮っています。両手に重い荷物を持っているときもあり、荷物を下に置いてカバンからカメラをサッと取り出し撮ります。目にとまるのは何故か空が多いんです。真ん中の写真はロンドンのKing's Cross駅から出て来たときに見上げると飛行機雲が空高く延びていてそれを撮ったもの。右は夜のポートベローの通りを重い荷物を両手に持ちトボトボ歩いていたときに目にしたきれいな夕焼け。イギリスの空ってきれいなのでしょうか。それとも自分の気持ちのせいでそう見えるのかしら。
こちらに来て四週目に入ります。この記事を何度かお読みの方は、この人は毎日何を食べているのだろう、とお思いになられるかもしれません。私の食事は至ってシンプル。
朝はフレンチプレスのコーヒーにレーズン入りのデーニッシュ。昼は遠出のときは、朝サンドを作って持っていきます。部屋の冷蔵庫にWaitrose(高級スーパー)で買ったライ麦パンのとても堅いやつ、チーズ、ハム、オリーブを蓄えてあるので、それを挟んでラップしたら出来上がり。これがね、美味しいんですよ。ハムやチーズはなるべくいいやつを買います。田舎に買い付けに行ったときなどは歩きながら食べたりします、Thermosの水筒にフレンチプレスのコーヒーを入れてあるのでもうこれだけで何も要りません。夜は最近はNotting HillにあるThe Fish HouseというFish&Chips(フィッシュ・アンド・チップス)の店に行って店のカウンターで揚げたての魚とポテトに塩とモルト・ビネガー(酢)をガンガンかけて食べます。カウンターに椅子が置いてあり、両手を脂でギトギトにして食べながらテイクアウトの注文に来ている人の人間観察で楽しみます。仕事帰りの東欧出身の女の子、恐らく今のイギリス人がやらなくなったような掃除とかの仕事をしているのかもしれません。爽やかな笑顔で店主のおじさんと会話してます。ロシア系の家族連れ、お父さんとお母さんに小さい女の子とお兄さんお姉さん。ロンドンに旅行に来ている感じです。3歳くらいの女の子の胸には小さなハートの刺繍が付いていて、こっちの顔を、アレ、コンナカオミタコトナイナ、という表情で隣の椅子から見てるんです。びっくりしてるんですね、その顔がとっても可愛くて。綺麗なお母さんが財布からお金を出し長女に渡すと、長女は学校で習った英語の腕試しでもする感じで丁寧な英語で注文してます(実際かなり上手な英語だった)。今回の旅で最初にこの店に入って注文して出来上がるのを待っていたときでしたか、僕より先に来ていた(恐らく)イタリア人の若いカップルの女性が注文した物を受け取って出て行くときに近くにいた僕の顔を見て、何故だか大きなスマイルで微笑んだんです。あなたも美味しいフィッシュ・アンド・チップスを楽しんでね、という意味だったのか何だったのかさっぱり不明でしたが、そのときの、そのときの瞳の美しかったこと。本当に瞳が輝いてました。
夜にここに来る人にリッチな人はいません。安くて美味しい物を買いに来るわけですから、中にはお金がなさそうにチップスだけを買って行く人もいます。でもここのカウンターから色んな人の顔を見ていると、心洗われると言うと言い過ぎかもしれませんが、その綺麗な笑顔に心洗われる、いややはり洗われるんですよ。
食べ物の話題が笑顔の話になってしまいました。
今日の昼ご飯は唐揚げ弁当でした。これについては次回。
ではお元気で。
Thank you for reading my boring talk!
Img_75c108c16ae379a0acf3ccdce2f3fbf5
Img_a9bd2c35a00b215e977b3f5f22dd76e6
こんにちは、今日はイングランド中部、Derbyの近くの友人の家にお邪魔してます。
昨夜はみんなで映画「パディントン・ベアー2」をDVDで観ました。ヒュー・グラントが中々良い味出してました。彼にしか出来ない演技でやはり彼はスターですね。僕は彼の自虐的ユーモアのセンス(とてもイギリス的です)、話し方とアクセント(彼はオックス・ブリッジですね)が大好きです。前の日が仕入れで三時起きだったので、映画の後ははぐっすり眠りました。
さて左の写真はコヴェントガーデンで撮ったもの、人が左手だけで体を支えスコップの上で宙に浮いています。お金を投げ入れると何と彼は左手だけで体を水平にしてお辞儀をします。中々みんなの注目を浴び、儲かってもいるようです。ここには写っていませんが、彼の右のほうには全身金色の男性が片足だけを曲げて椅子なしで座る姿勢で静止していて、この人のほうが先にここでパフォーマンスをやっていて前は注目を浴びていましたが、この写真のシルバーの男性の出現で、どうも地味に見えてしまうようで陰に追いやられ誰もお金を投げ入れていません。周りを歩く観光客に素通りされるばかりです。厳しい世の中ですね。ほんのちょっとしたことなのに。
真ん中の写真はポートベローのフード・マーケットです。
最近はイギリスでも二三年前に流行っていたものが、サッと消えていたり、いいなと思ってたところに久し振りに行くと、雰囲気ががらっと変わり暗い感じで荒れていたり。変わらないもの、変わらない場所、あぁいつ行ってもいいなぁ、と思える場所がほんとに少ないですね。何もかもが刹那的で不安定。どこか素敵な場所を見つけても、次来た時も変わらないでいてね、と心の中で知らずのうちに祈っている自分がいます。日本でも同じ気持ちに良くなりますね。
スピードと利便性と効率を求めてやまない代償がこんな形で出て来ているんですよね。
すごく残念ですね。
「パディントン・ベアー 」は日本に帰ってもう一度観ようと思います。バカげていてクダラナイと思いつつも、つい笑ってしまう、ミュージカル調でやはり大きい画面で観たいです。
では。
Img_850ac9fc5f9d23de4c6a0a6085ad3f74
Img_a28cce4b52c7b36b9566fa896686917f
Img_ce27571f8942125c0304425a805825cd
上の写真は二週間前にポートベローのマーケットで撮ったものです。真ん中は映画館の写真、右のカップルは二人揃っての色のコーディネートが中々素敵です。オシャレのセンスが如何にもノッティングヒル辺りにいそうな感じで、余りお金を掛けずに上手にやっています。実はもう使われてなさそうな電話の写真を撮ろうとしてファインダーを覗いていたらたまたまこの二人が視界の中に入って来たので、あらオシャレじゃないですか、と咄嗟にパチリ。左の写真は右下のイタリア人らしき女の子の表情と視線の向きが全体の中でバランスが良く、左のオレンジのジャンパーのおじさんの視線の向きとも良く合っている。特にこの右の子の表情には何処か物語を感じさせるものがありますね。でもこの写真もたまたま上手く行っただけで、撮っているその瞬間はもう全体の構図を決めるのに精一杯。後から見てみて、あら上手く行ってるじゃない、と言うだけのこと。
人生、「たまたま」だらけなんです。たまたま手に入った、たまたま会えた、たまたま耳にした、たまたま見つけた、たまたま入った、、。でもその「たまたま」中にもどう考えても必然性を感じるものが時々あるんですよね、だから「たまたま」のフリをしてて実は、そこに在るべくして在ったわけで、誰かがその背後で糸を引いているわけです。その「たまたま」のフリをした必然性が後になってみると自分の人生の分岐点になっている、そのような経験は誰にもあると思います。
さて昨日の夜、雨の中をスーパーに行くのにこの辺りを歩いていたら(昼と変わって夜はちょっとヤバイ感じ、つまり危険な匂いがします)、アイスクリーム屋の前の歩道で黒人の男、若くて痩せたのが腕立て伏せを雨に濡れながらやっていて、そして腕を伸ばした弾みで飛ぶように立ち上がるとそのまま駆け足でアイスクリーム屋の中に消えて行きました。ちょっと面白い光景でした。
Img_0e459a31f180723845b912940b329f83
Img_b941c652094dd130dd5fda05e5a13f36
Img_ccdcdb1cdb2ce8d40b7705f2fabb42a0
夜のノッティングヒルの写真です。日本語の助詞「の」って難しいですよね。何をどう書いても絶対に避けられませんし、何となく適当に文章を書いていくと、この「の」が三つも四つも続いたりして。英語の 'of' よりも厄介だと思います。でも「の」なしでは何も書けない。あと日本語で難しいと言うか悩むのが、何処で「、」を使うかということ。それから改行も難しいです。昔の本を読んでいると思うのですが改行する時には作者というか書き手の思い、意志がそこに感じられ、そこで生じる間(ま)には書き手の余韻が潜んでいるように感じるものです。でも、今の本を読んでいるとこの読点の使い方も機械的というか、ただ単に短くして読み易くする、口に入れる食べ物を食べ易いサイズに切るような感じがします。だから改行の前後には殆ど余韻はありません。今こっちで遠藤周作の『切支丹の里』(中公文庫)を読んでいます。1970年代の本ですがこの作者の改行はとても重たく、なぜ文章がそこで切られているのか、改行で出来る余白の意味を彼はよく知っていたのです。
そんな話も12月1日のトーク(このページの少し前に書いてます)でするはずです恐らく。
文芸評論家なんて最もアテにならない人達なのでさして期待はしてませんが、彼らはそれでメシを食っている訳ですから誰の目も気にせずもっと本当のことを書くべきです。言葉の劣化、と言う問題は大きいですよ。という訳で、トークではエズラ・パウンド(アメリカの詩人)も少し話す予定です。
トークは現在予約5名です。ありがとうございます!
後、5名くらいは入ります裏部屋に、と書いている私のこのブログ文章には全く余韻がありませんね。
失礼しました。