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上の写真は二週間前にポートベローのマーケットで撮ったものです。真ん中は映画館の写真、右のカップルは二人揃っての色のコーディネートが中々素敵です。オシャレのセンスが如何にもノッティングヒル辺りにいそうな感じで、余りお金を掛けずに上手にやっています。実はもう使われてなさそうな電話の写真を撮ろうとしてファインダーを覗いていたらたまたまこの二人が視界の中に入って来たので、あらオシャレじゃないですか、と咄嗟にパチリ。左の写真は右下のイタリア人らしき女の子の表情と視線の向きが全体の中でバランスが良く、左のオレンジのジャンパーのおじさんの視線の向きとも良く合っている。特にこの右の子の表情には何処か物語を感じさせるものがありますね。でもこの写真もたまたま上手く行っただけで、撮っているその瞬間はもう全体の構図を決めるのに精一杯。後から見てみて、あら上手く行ってるじゃない、と言うだけのこと。
人生、「たまたま」だらけなんです。たまたま手に入った、たまたま会えた、たまたま耳にした、たまたま見つけた、たまたま入った、、。でもその「たまたま」中にもどう考えても必然性を感じるものが時々あるんですよね、だから「たまたま」のフリをしてて実は、そこに在るべくして在ったわけで、誰かがその背後で糸を引いているわけです。その「たまたま」のフリをした必然性が後になってみると自分の人生の分岐点になっている、そのような経験は誰にもあると思います。
さて昨日の夜、雨の中をスーパーに行くのにこの辺りを歩いていたら(昼と変わって夜はちょっとヤバイ感じ、つまり危険な匂いがします)、アイスクリーム屋の前の歩道で黒人の男、若くて痩せたのが腕立て伏せを雨に濡れながらやっていて、そして腕を伸ばした弾みで飛ぶように立ち上がるとそのまま駆け足でアイスクリーム屋の中に消えて行きました。ちょっと面白い光景でした。
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夜のノッティングヒルの写真です。日本語の助詞「の」って難しいですよね。何をどう書いても絶対に避けられませんし、何となく適当に文章を書いていくと、この「の」が三つも四つも続いたりして。英語の 'of' よりも厄介だと思います。でも「の」なしでは何も書けない。あと日本語で難しいと言うか悩むのが、何処で「、」を使うかということ。それから改行も難しいです。昔の本を読んでいると思うのですが改行する時には作者というか書き手の思い、意志がそこに感じられ、そこで生じる間(ま)には書き手の余韻が潜んでいるように感じるものです。でも、今の本を読んでいるとこの読点の使い方も機械的というか、ただ単に短くして読み易くする、口に入れる食べ物を食べ易いサイズに切るような感じがします。だから改行の前後には殆ど余韻はありません。今こっちで遠藤周作の『切支丹の里』(中公文庫)を読んでいます。1970年代の本ですがこの作者の改行はとても重たく、なぜ文章がそこで切られているのか、改行で出来る余白の意味を彼はよく知っていたのです。
そんな話も12月1日のトーク(このページの少し前に書いてます)でするはずです恐らく。
文芸評論家なんて最もアテにならない人達なのでさして期待はしてませんが、彼らはそれでメシを食っている訳ですから誰の目も気にせずもっと本当のことを書くべきです。言葉の劣化、と言う問題は大きいですよ。という訳で、トークではエズラ・パウンド(アメリカの詩人)も少し話す予定です。
トークは現在予約5名です。ありがとうございます!
後、5名くらいは入ります裏部屋に、と書いている私のこのブログ文章には全く余韻がありませんね。
失礼しました。
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この写真は数日前にエジンバラからの帰りの電車の中でカメラをモノクロモードにして撮ったのですが、とても気に入ってます。と言っても撮ったのはカメラで僕じゃありません。最近のカメラは自分で撮ったと言うより、カメラさんに撮らせて頂いている感じですね。何てことない写真ですが好きです。なんでもそうですが今は何をやっていても人間が出来る余地は少ないですね。機械様が色々ご親切にやってくれるのでまるでこちらのほうが付属品のオマケみたいに感じます。
消費する、という言葉があります。最近感じるのは僕たちが色んなものを消費しているように見えながらその実「消費」されているのは私たちのほうではないか、僕ら大衆がもうすっかり消耗品みたいなもんなんですよ。
ネットでなんでも出来る、と言うのはモノと人間の繋がりかたが知らぬ間に逆転している、と言うことだと思います。便利であることを超えて殆ど奴属化に甘んじることだと思います。
昨日かな、ロンドンで地下鉄に乗ってたら、立ってたのですが、電車が急加速した時に僕の前の60くらいの男性が彼の前に居たリュックを背負った若い女の子のそのリュックにそっと軽く添えるように手を当ててあげていたんです。彼女が急加速でふらついた時のために。その二人は他人ですし、彼女のほうはその男性の思い遣りの手には気付いてなかったようですが、中々の良い光景でした。ロンドンの地下鉄は殺伐とはしませんね。心温まりました。
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ウェディングに行って来ました。今回の仕入れがこの時期になったのはこの結婚式に参加する為、今回の旅のハイライトでもあります。Ely Cathedral(イーリー大聖堂)で式が行われました。勿論私のウェディングではなく私の長年の友人のお嬢さんの結婚式です。彼女は10歳くらいの頃から知っています。最初に会った頃は僕が彼女の家に行くとオモチャで一緒に遊んでくれとせがんでいたのに。時間は経った訳ですね。才色兼備とでも言いますか、彼女は知らぬ間に美人になっていて、ケンブリッジ大学を出て今もそこで働いています。新郎はオックスフォード大学を出て今はケンブリッジ大学で博士号取得中です。式にはオックス・ブリッジ(オックスフォードとケンブリッジ)の卒業生が沢山来ていました。
左の写真は式が終わった後に外で皆んなで記念撮影をしているところ、真ん中はウェディングの後に夕方から開かれるウェディング・ブレックファーストと呼ばれる晩餐が始まろうとしているところ、右は新婦のCさんと右の東洋人は台湾から来ていたMさん、顔が僕にちょっと似ています。彼は東洋人なのに何故か晩餐会の時も親族席に座ってよく喋りよく食べてました。
こちらで結婚式に出るのは初めてで、しかも式が行われた教会が11世紀に建てられた大聖堂、参列者もオックス・ブリッジの卒業生も居れば労働者階級の人も居て僕には色んな意味で興味深い体験でした。幾つか面白いエピソードがあるので次に書いてみます。
土曜が式でその後電車でロンドンに戻り、午前1時半に家に着いて翌朝7時起きでニュー・キャッスルまで電車で仕入れに行き、その後エジンバラに電車で行き、友人の家にお邪魔して、また翌朝ヨークに下って仕入れ、その日の内にロンドンに戻りました。と言う訳で結構疲れています。ウェディングの話は次回書きます。
何はともあれお目出度いことでありました。
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イギリスに着いて速六日経ちました。今回の滞在先はノッティングヒル(Notting Hill)、あの有名な映画「ノッティングヒルの恋人」の舞台になった通りの近くです。小さな部屋を間借りしてます、初めてなのに何処かしら自分の部屋のように感じてしまっていてとても居心地よく何故かたくさん寝てますね。ノッティングヒルはロンドンで僕の一番好きな場所かもしれません。東京に例えると中央線沿いの(ノッティングヒルもセントラルラインにあります)高円寺、阿佐ヶ谷辺りに近い感じです。ちょっと左寄りのカウンターカルチャーの空気がここは何処となく漂っています、でも最近この辺りのお店も段々とPosh(ポッシュ)になって来て、気取っていて気軽に入り難いところが増えていますね。余りオシャレになりすぎると却ってダサいというか知性を失いつまらない街になって来ますから(今の金沢がまさにそんな感じです)。
真ん中の写真はそのまさにオシャレなブティックの写真、この辺りではチャリティーショップ(慈善団体が寄付された物を売る店)もオシャレで高級を装っています。
左の写真はOxford Circusを少し下がったとこにあるCaffe Nero(イタリア系のコーヒーチェーン)の地下。カフェモカを飲み何となく書きものをしたところで写真をパチリ。僕のロンドンでの至福の時間です。右は朝六時前のNotting HillのTube(地下鉄)のプラットホーム、早朝の誰もいないホームの写真を撮るのが好きなのです。古い駅舎には何処かしら人格があるように感じられます。
アンティークの仕入れもしています。前にも書いたように大きなアンティーク市に行くと、高そうなブランド服を着た若い中国人の子が(大体20代前半)、iPad片手に次から次へとテーブルの上にある物を手に取り写真に撮ると、その画像を恐らく中国に居る顧客(?)に送信して先方と話しながら、結構高い物を買い占めています。彼ら、この若い子はまあ唯の代理人みたいなものでアンティークなんかに興味ないんですよきっと。彼らの顔にそう書いてあります。ぼくもこの世界長いですから顔見れば大体分かります。でも、イギリス人にとっては「上客」ですから、彼らイギリス人も自分の国の古い物がそんなふうに扱われるのは内心嫌かもしれないけれど、そうつれない態度は取らないんです。嫌な顔せず普通に売ってます。だって今のイギリスでそんなにポンポンと買ってくれるのは中国人以外居ませんから。でも、(僕にとって)唯一の救いはですね、彼らは物なんて見てませんから分かりやすい高級品ばかり買うんです。だから目の前にあっても面白い物を結構見落としている、と言うか彼らはそもそも物に興味が無い。僕が探しているような物にかれらが手を出すことはまずないのです。まあ十五年、二十年後は分かりませんよ。
イギリスのアンティークの世界では今最近は、ここ数年ですかね、18世紀の渋物は全然人気ないです。イギリス人にもそんな酔狂な人は今は殆ど居ませんし日本人のプロのディーラーにも少ないですし、誰も渋い物なんか評価しないのです。これもネットの影響かもしれません。残念ですね。
これだけ多くの人がこの世界に居てみんな似たような物ばかりを求めてウロウロしたりクリッククリックしてるんですね。ちょっと気持ちの悪い不思議な風景です。