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夜のノッティングヒルの写真です。日本語の助詞「の」って難しいですよね。何をどう書いても絶対に避けられませんし、何となく適当に文章を書いていくと、この「の」が三つも四つも続いたりして。英語の 'of' よりも厄介だと思います。でも「の」なしでは何も書けない。あと日本語で難しいと言うか悩むのが、何処で「、」を使うかということ。それから改行も難しいです。昔の本を読んでいると思うのですが改行する時には作者というか書き手の思い、意志がそこに感じられ、そこで生じる間(ま)には書き手の余韻が潜んでいるように感じるものです。でも、今の本を読んでいるとこの読点の使い方も機械的というか、ただ単に短くして読み易くする、口に入れる食べ物を食べ易いサイズに切るような感じがします。だから改行の前後には殆ど余韻はありません。今こっちで遠藤周作の『切支丹の里』(中公文庫)を読んでいます。1970年代の本ですがこの作者の改行はとても重たく、なぜ文章がそこで切られているのか、改行で出来る余白の意味を彼はよく知っていたのです。
そんな話も12月1日のトーク(このページの少し前に書いてます)でするはずです恐らく。
文芸評論家なんて最もアテにならない人達なのでさして期待はしてませんが、彼らはそれでメシを食っている訳ですから誰の目も気にせずもっと本当のことを書くべきです。言葉の劣化、と言う問題は大きいですよ。という訳で、トークではエズラ・パウンド(アメリカの詩人)も少し話す予定です。
トークは現在予約5名です。ありがとうございます!
後、5名くらいは入ります裏部屋に、と書いている私のこのブログ文章には全く余韻がありませんね。
失礼しました。