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先ほどNotting Hill Gate にある日本料理店、Eat Tokyo で唐揚げ弁当(写真)をテイクアウトして、街中のベンチでのんびりと食べてから途中古本屋を冷やかして帰宅すると、この iPad さまのリマインダー機能が、明日の帰国です、と言うではないですか、、いやいや帰国は水曜ですよ、と思いながらバッグに手を伸ばし飛行機のチケットを見ると、なんと帰国は明日。びっくり仰天。帰国はなんと明日。
さて今から大急ぎで準備をします。多分間に合うでしょう、恐らく。
と言うことで、6日木曜、2時頃開店します。
あぁ、冷や汗ものでした。iPadありがとう!
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ロンドンの気温は20度位、今日も美しい空が広がっていました。
先日 Caffe Nero の地階で一人コーヒーを飲んでいると、前のテーブルに15、6歳位かな、若い男女が向き合い互の眼を見て長いこと話をしてました。男の子は細身の白人、女の子は黒人の血が入ったぽっちゃりした可愛い子。女の子は話しながら脚を時折ぶらぶらさせて、男の子のほうは飲み干した空のプラスチック容器を両手でくるくると回しながら話している。二人ともとても熱心に。お互いにとても興味がありながらも何処かそわそわ落ち着かず。
僕はこの二人を何時までも見ていました、楽しかったからその初々しさを眺めるのが。
日本人ももっともっと話をするといいんじゃないかと切に思います。
フォロアーだのインスタだのそんなのやったこと無いので知りませんが、人と向かい合って話すこと、そのほうが遥かに美しいとは思いませんか。
話さなくなるとその技術すら衰えてきて、たまに話すと怒鳴ったり一方的に自分のことだけを話す、こんな人が周りに多くないですか、今の日本は。何十年も生きてきたのに話せなくなってるんですですよ、話すためのメロディーを失ってるんですね。
とても残念です。
だから皆さん話して下さい。メロディーを失わないために。
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左の写真は前回書いたピカデリーの Waterstones、右は オックスフォード・サーカスにある Caffe Nero の地階。今日も懲りずに午後から Waterstones に行き小一時間程を過ごし、その後徒歩でオックスフォード・サーカスに行き Nero で読み書き。その帰りに Notting Hill にある古本屋に入り本を数冊購入。ボヘミアンな雰囲気の本屋で書棚の造りなども安っぽく一見雑然としているが、その割には置いてる本に拘りがあるようで、購買意欲を掻き立てられる。ジョージ・ギッシングの小説(The Nether World)とガートルード・スタインの自伝(The Autobiography of Alice B. Toklas)、それからケニス・ホワイトのアジア旅行記(Pilgrim of the VOID、これはタイトルに妙に惹かれて買いました)。恐らくどれも翻訳されておらず日本語では読めそうにないので、買いました。ガートルード・スタインは日本でもっと注目されていい作家だと思うのに日本語では今殆ど読めない状態です(富岡多恵子さんの訳本が一冊ありますが、これは酷いです日本語になってない)。ギッシングは岩波文庫からでているヘンリ・ライクロフトの私記、と言う本を買ったのが切っ掛けで今興味がある作家なのです(岩波の凄いところはイギリス本国でも殆ど読めないような本を今も出しているところです、この本は今日Waterstones で問い合わせたら小出版社が出しているだけで店頭にはありませんでした)。Waterstonesではアメリカの女性作家 Elizabeth Hardwickの短編集を買い、彼女の英語は僕には難しいのですが、彼女の文体に前から惹かれていて、単語の羅列から湧き出てくるイメージにうっとりさせられるのです。彼女の日本語の翻訳は全く出ていません。とても詩的なので日本語に訳した時点で殆ど死んでますがね。
しかしこんな本を何時読むんでしょうね。ただでさえ英語読むの遅いのに。それをまた重いのにスーツケースに詰め込んでヨイショヨイショと日本まで持ち帰る。本屋は危険ですね、これ以上近寄らないようにしたいと思います。でも古本屋に居ると落ち着きますね、オシャレな本屋では絶対見かけない変な人がポツポツ居て、安心します。と言うことは僕も同類 なのかしら。先ず中に居るお客が古本みたいな人間で古びてて味がある、みんな何処かに過去の傷があり疲れてもいるが、それを隠すこともなくさり気ない肯定感が感じられる。必要以上に飾りたてない人間に囲まれていると落ち着きます。
今大英博物館で国外最大規模の日本のマンガの展覧会が開かれています。初めてロンドンに来た三十年前には想像すら出来なかったことですね。
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今日はこちらに来て初めてのんびりと過ごしました。ここ二週間余り毎日張り詰めた気持ちで動き回りアンティークを探していたので流石に疲れました。今日は身体から力が抜けた感じで何となく昼頃にアパートを出て Oxford Circus のCaffe Nero に行き三時間程そこの地階にある隅っこの席に陣取りボーッとしてました。書き物も少しだけしましたがまあ殆どボーッとしてるだけ、自分に戻る時間とでも表現したらいいのかな、そんな時間を過ごしました。そして上にあがりカフェを出て繁華街の喧騒に身を晒すと自分が地下室からヌッと出てきたような感覚が一瞬過ぎり、何かをその地下に置いてきたような感覚を覚えました。それから歩いて Piccadilly の Waterstones に行き、広くて静かな売り場にある沢山の美しい本に囲まれてはあれこれ思いを巡らせながら階を移動して二冊の本を買いました。うち一冊はエドワード・ホッパーの画集です。彼の絵の素晴らしさ奥深さが分かるようにというか感じられるようになったのはごく最近のこと。昔はこんな絵は浅読みをしてしまっていて、随分と分かったような気分でいたのですがね、とんでもない誤解でした。
僕にとってこのピカデリーにある本屋は聖地のようなもので、もしこの本屋がロンドンから消えたならば僕は落ち込んでしまい立ち直れないかもしれません。そのくらい大切な場所ですね自分にとって。この本屋には考えながら本を選べる「間」のようなものがしっかりと確保されていて、それがとても良いんです。考えながら選べる、これはとても重要なことで日本の本屋では余り経験しませんが、それよりもイギリスの本は美しい。
いつ頃から日本の本は品を無くしたのですかね。
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今回の仕入れも全部で四週間の長さで、その間に色んな所に行きます。初めての街を訪れてみたり、今まで知らなかった新しいアンティークの市に行ってみたり、またそこでささやかな出会いがあったりで本当に色んな人に会います。そこで小さく開いた穴が少しずつ大きくなっていく如く、そこから付き合いが始まり仲良くなっていく人もいます。自分も性格に癖があるほうでしょうが、アンティーク・ディーラーと言うのは大体皆んな多かれ少なかれ一癖あって変わった人が多いものです。その一癖二癖ある者同士が付き合っていく訳ですから、中々難しくもあり、相性の良し悪しも重要なのです。気性の激しい人も多いですし、まあどちらかと言うと「普通の人」になれなかったとでも言うのか、普通の社会から(若干)あぶれてしまった感じの人がポツポツいるのです(注・今はイギリス人のアンティーク・ディーラーに限って話しています)。社会の中心では無く周縁部にいる人たちですねどちらかと言うと。アンティークって、それを作った人も使っていた人も遠い過去に死んでいますし、それを所有していた人が死ぬとまた新たにそれが市場に出て来ると言う、何処までも「死」の影が付き纏うのです。アンティークの物自体は美しいのですが、それらが動く時には人の死が関係していることが割とある。
ある意味過去を背負った物を扱う仕事ですから、扱う人たちもその物が背負っている「過去」に染まっていくのでしょうか。変な仕事だと思います。だから変な人が多いんですかねアンティーク・ディーラーには。
そろそろ仕入れの旅も後半に入って来ますね、疲れを溜めないようにして楽しみながら淡々とかつ慎重に行きたいと思います。