小さな水彩画

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イギリスの小さな水彩画 (額のサイズ、270mmx220mm) です。恐らく百年くらい前のもの、何年か前に買っていたのですが、額に入ってなかったので最近額を作ってもらいました。絵は額に入れてないと売れ難いですね。持って帰って飾るだけ、という状態にしておかないと中々売れません。個人的にはとても好きな絵ですね。イギリスの湖水地方か何処かの風景でしょうか。
前にも話したと思いますが、昔沖縄に住んでました。琉球大学(英文学科)という所に入学したものの大学の授業に全く興味が持てず大学にはサークル棟と学食と図書館の地下書庫を除いて殆ど行きませんでした。もちろん、中退です。二年生の前期を終わったところで取得単位が足りず除籍になりました。その時にすることもなく那覇の安里にある「うりずん」という琉球料理の居酒屋でバイトをしました。そこの経営者というか店の主は土屋さんと言い、当時から名物店主で彼を慕って全国から様々な有名無名の人たちが「うりずん」を訪れていました。大学をクビになり、まあその土屋さんに拾ってもらった訳です。
大学で「海外研究クラブ」というサークルに入ってました。元々は沖縄の移民を研究するクラブだったのが僕が入った頃はかなり軟化していてブラジルやアルゼンチンの日系の留学生と夏にもなると八重山諸島に行き泡盛飲んでサンバを朝まで踊るのがサークルの主な活動(?)という状態。何時の頃からか「うりずん」の土屋さんがそのサークルの名誉顧問みたいな存在になっていて、僕が部長をしていた頃もたまに土屋さんから電話が掛かって来て、塩井(僕の名前)、今日暇だったらみんなでおいで、と言うのです。留学生も含めみんなで「うりずん」に到着すると、恵比寿顔の土屋さんがニコニコしながら二階の座敷に上がるように僕たちを促します。少なくとも十五人位は居たと思いますが、僕たちが座敷に座り程なく次から次へと豪勢な琉球料理と泡盛が運ばれてきます。それをみんなでお腹いっぱい食べさせて貰い満足すると下に降りて行きます。土屋さんが僕たちの満たされた顔を見ながら、お腹いっぱい食べたか、とか何とか言いながら何時もの笑顔で何度も頷きながらぼくらを送り出してくれるのです。
そうなんです。タダメシをタラフク食べさせて貰っていたのです。大勢で押し掛け座敷を陣取り、さして何も考えずに、恰も当然の権利でもあるかの如く感謝もせず。若いとは恐ろしいものです。当時の土屋さんは四十前半、僕たちには随分と大人に見えましたが今のぼくよりも一回りくらい年下ですね。恐らく彼には沖縄が貧しかった時代に北米や南米に移民して苦労された人たちに対する強い思いがあり、それが留学生や僕たちを店に呼んで食べさせる、という行為に繋がっていたのではないかと思います。
本当に懐の広い人でした土屋さんは。実は数年前に七十過ぎで亡くなられたのです。ある日北陸中日新聞の「偲ぶ」という著名人の死亡記事のページを何となく開くとそこに土屋さんのやさしいお顔があったのです。本当にショックで。もう一度お会いしたかったので悔しくて悔しくて。これを書いてる今でも悔しく悲しいです。
お店に居ても殆ど仕事らしいことはせずに何時もお客さんと一緒に座って泡盛を飲んでいる。恵比寿さまのような顔で長く伸びた髭を触りながら笑って頷いている。そして時々こっちをじっと見透かしたように見ながら一言二言何か言うんです。あんなに優しくて恐い、恐くて優しい人は後にも先にも彼だけです。僕はもう一度だけ土屋さんに会って、あの深く鋭い眼差しで優しく頷きながら僕の眼を見て欲しかった。彼の懐をそうやって感じたかった、です。本当に至極残念です。会いたいです土屋さんに。

ノルウェーのエナメル・ブローチ(黒いハート)

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1920年頃のノルウェーのブローチです、シルバーにエナメル製。イギリスの友人のアンティーク・ディーラーがノルウェーで仕入れて来たのを譲ってもらいました。黒いほうは長さが4,5cm位で、白いほうは5,5cm位です。個人的には黒いハートのブローチがお気に入りですね、自分が女性だったら着けたいですね。白黒どちらも個性的です。個性的なブローチは売れ難いのですが、売れるかな?
先日映画を観ました、『ラジオ・コバニ』。IS(イスラム国)との戦闘で瓦礫と化したシリア北部の街、コバニで20才の大学生の女性が友人と二人で手作りのラジオ局を始める。その様子と街の人々が戦闘が終わった後に復興へと向かって行く姿を記録したドキュメンタリー映画です。70分にも満たない映画でした。とても素晴らしかったです。観終わって涙が出てきて深い感動に心が潤いました。死体も沢山出てきますし戦闘シーンもありますが、どの光景も全体の中で必然性があり悲惨な光景を観ていてもこちらのほうが取り残されるような後味の悪さはありません(最近の映画は不必要とも思える残酷なシーンが多いと思います。刺激の強い映像は全体の中で必然性を得てこそ説得力があるものです)。とてもいい映画でしたし、人々の顔の美しかったこと。是非皆さんご覧になって下さい。
自分の部屋で十年ほど前の雑誌、例えば芸術新潮などをパラパラと捲り、思うのです。十年前の雑誌は面白かったな、と。取材にもの凄く時間を掛けています、だから面白い。それと恐らく面白さの理由は視点の問題ですね。取材するにあたっての視点(方針)がしっかりしている、だから面白い。本でも雑誌でも展覧会でも音楽でも映画でも、ジュウネンマエハマダオモシロカッタヨ、と感じているのは僕だけでしょうか。どんどんと視野狭窄的に縮んでるとでも言ったらいいのか、分かり易さと白黒二分法だけで物事を進めていくと世の中はこうなるのだ、と言う印象です。この十年で僕たちが失ったものの大きさを考えるとき、そのたったの十年前が遠くに感じられるのですね。劣化してます、日々劣化してます人間は、と言いたくなるくらい色んなところに劣化を感じるのです。そしてこの劣化の傾きが加速しながら更に十年進むとどうなるのか想像する。
僕は本当に世の中が変わっていかなければ、と思います。
『ラジオ・コバニ』観て下さい是非。

古代南米の牛 その2

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前回と同じ物の写真を載せます、どうしても三枚に絞り切れなくて。
これから書く話しは以前にも書いたかもしれませんが、最近時々思い出すので書きます。だぶっていたらごめんなさい。
今から二十年以上前のこと、能登島にある水族館に行きました。そこで「魚たちの音と光のショー」みたいなタイトルのついた見せ物があり、小さなホールのようなところに入ると前面に大きな長方形の水槽があり中は真っ暗でした。やがて音楽が流れ始め水槽右上のライトが付くと、一斉に百以上いる小さめの魚たちが光目指して泳ぎます。するとまた左上のライトが付き反対側に集まっていた魚たちはまた光り目指して身を翻し泳いで行くと言う仕掛けのショーでした。魚たちの鱗が光に照らされ右へ左へと移動する様が美しかったような記憶があります。パッと光が付くと殆どの魚は一斉に光り目指して素早く泳ぎ始めるのですが、その中でも一、二匹程の魚は何故かみんなとは逆方向の闇を目指して光を避けるようにどよーんとあらぬ方向に泳ぐのですよ。そして、またこっちのライトが付くとまた自分だけ暗いほうへと逃げて行く。
それを見てて僕は、あぁ、魚にもこんなのがいるんだ、としきりに可笑しくて、心の中で笑いながらそのとぼけた魚を眼で追いながら妙な親近感を感じたのを記憶しています。みんなと同じ方向を目指せない、どうしても意識していないうちにズレてしまう。そんなことが今よりも気になっていたのかもしれません、私自身。日本は、みんなと同じにする、という同調圧力が今でも強いですね、学校でも会社でも。そう言えばなん年か前にある有名私立大学(高偏差値)の教授に頼まれて自分の店でその先生のゼミ生に話しをしたことがあります。理解力は高そうでしたがみんな質問もしないし意見を中々言わないんですね。その後で先生に、何であんなに大人しいのかを訊くと、勉強のできる子は小さいときから目立つといじめられるので出来るだけ目立たないようにして来た結果大人しくなるんです、とのお答えでした。
クラシックで時々耳にする言葉にポリフォニックと言うのがあります、意味は多音、多声、二つ以上の独立した声部を持つ、くらいの意味だと思います。僕はこの言葉がとても好きです。色んな声(音)がそれぞれに独立していてそれらが重なり美しいハーモニーとなり聴こえて来る。今の世の中はポリフォニックなもの、色んな声がそれぞれに独立して、それらがあるがままに許され聴こえて来る、そんな多様性のありかたがじわじわと否定されて消えているような気がします。イヤな世の中です、もしそれが事実なら。

古代南アメリカの牛

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前回このホームページのNEWSで掲載した古代南米の牛です(H. 9,2cm、L. 9,8cm)。紀元前二千年以上前の物、保存状態もとても良く、目立った疵等はありません。とにかく可愛い、後ろから見ても横から見ても前から見ても、カワイイ、の一言です。
連日暑いです。家にはクーラーがないので帰宅したら先ずはシャワーを浴びて汗を流し、殆ど下着だけでウロウロして過ごします。家の中で冷やっとするのは冷蔵庫を開けたときだけ。冷蔵庫涼しいです。夏バテでしょうか、とにかくやる気がない。何時もやる気がないのにその何倍もやる気が出ないのです。そして慢性的に眠い。怠いのか眠いのか、その両方なのかよく分かりません。それでも本はよく読んでいます。大体何処かに行って動いて回ると本が増えている感じです。昨日も「岩波ブックレット」を二冊買い、街中の109の四階にあるサイゼリアに入りノンアルコールビールと前菜を二つほど注文してパクパクゴクゴクしながら暫しのダラダラ読書。ブックレットの二冊は一つは東日本大震災に関するもの、もう一冊はロシアに亡命中のスノーデンが日本の共謀罪について語ったもの。スノーデンは僕が最も興味を持っている人物です。彼の本は一冊読み、彼についての映画も二本観ました。とても興味深い人、いやその存在自体が希有で驚きの人間だと思います。
これも昨日のこと、真昼の暑い中、デパ地下で食材を買ってから自転車で繁華街を通り店へと戻っていたとき、交差点で信号待ちの人たちが日陰に立ち、そうですねその近くの日陰の通路を歩いていた人も入れたら僕の視界に入って来た人の数が百人近くいたでしょうか。こちらが自転車で通り過ぎる15秒程の時間です。その9割以上、殆どの人が下を向いてスマホを弄っていたのです。止まっている人も動いている人も皆下を向いて小さく四角い物に見入ってました。異常な光景です。僕が時々行く、ロンドンやアムステルダム、エジンバラでは先ず起こりえない眺めだと思います。異様ですらあります。
ロンドンで街中のスーパーに行くとマスクをした若い人を見掛けることがたまにあります。ほぼ間違いなく観光で来た日本人です。一度か二度程、おせっかいにも声を掛けて、イギリスでマスクをしていることが他の人たちにどれほど変な印象を与えるのかを説明したことがあります。イギリスでさしたる必要もないのに顔を隠すのは他者とのコミュニケーションを避けているというメッセージにもなり得るからです。それに顔が見えない(それが半分にせよ)というのは気持ちのいいものではありません。
僕はスマホには自分の脳自体をアウトソーシング(外部委託)するようなところが少なからずあると思います。自分自体をそっくりそのまま誰かビックな存在に預けるんですね。そのビックな存在が善意のヒトであればいいのですが、その存在が悪意に満ちたものであればどうなるのか、、。恐い世の中です。
もちろん僕のこの考えは少し偏ってはいますが、ある程度の真は含まれていると思います。
では皆さんお元気で。
次回は梯久美子さんの本について書く予定です。

ローマ時代の彫刻

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ローマ時代の彫刻(H. 12,2cm)、台は今の物で安っぽい素材を使っていますがこれが中々良い。古代の彫刻までもが何処かモダンに見えて来ます。素晴らしい作品です。つくづく美しいですね。
今これを書きながら映画「二人のヴェロニカ」のサウンドトラックを聴いています。もうかれこれ三十年近く前の映画ですね。監督はポーランドのキェシロフスキ、この映画よりも「トリコロール」のシリーズのほうが有名ですが僕はこのシュールで摑みどころのない映画のほうが好きですし、音楽がとても美しい。全く同じ姿をした女性がパリと(確か)ワルシャワに居て全く別の生活を送っていてその二人に接点が産まれるかとそうでもなくただただシュールなんです。映像がとても奇麗で、パリのヴェロニカは学校の音楽の先生をしているのですが、そこに人形芝居をしにやって来た人形遣いの男がそのヴェロニカを誘い出すのに駅の近くにあるカフェの音を録音したテープを送るんですヴェロニカに。それをヴェロニカは何度も聴いてついにそれが何処か突き止めるのですが、その長い時間をその男はひたすらカフェで待ち続けるんです。三十年前です。携帯なんかありませんから、男と女が会うのも大変なんですね。
僕はこの映画、ダブリンで観ました。自分も暗かったしあの頃のダブリンも暗かった。暗いとき苦しいときに観た映画は忘れられないものですね。同じ監督の短編映画に「殺人に関する短い物語 (A Short Story about killing.)」と言うのがあるんですが、打ちのめされるくらい暗くて悲しい映画で、これを一人で観た後に冬の夜のダブリンの暗い通りを何か重たくて大きなものに押しつぶされそうな気分で自転車を押して家路に着いたのを覚えています朧げながらも(そう言えば暗い時期の記憶は結構抜けているものですね)。
僕がアイルランドに行ったのは1989年、当時のアイルランドは失業率も20パーセント近くあり、まだあの頃は離婚も出来ず中絶も許されていませんでした。街中にテレフォン・ボックスが四つ並んでて電話を掛けようと中に入るとその内三つの受話器が取れていてなかったり、二階建てバスに乗って上に上がると座席のシートが取れてひっくり返っていたり、たまたまかも知れませんが、街中は暗くて寒くて希望少なく、夜なんかもパブの前で若い女が崩れ叫ぶように男の胸を叩きながら大声で泣いているのを遠くから見たのは今でも覚えています。暗いけど貧しいけど詩情だけはたくさんあって、、。じゃあ今の日本とどっちがいいのか、それはとても難しい問題で、、。クリスマスの夜に街中で歩道に絵を描いて物乞いしている男の子に小銭をあげたら少な過ぎると逆に怒られて追っかけられたこともありました。どれもこれも想い出です。