古代ガラスのネックレス

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古代ガラスのネックレス、左はスコットランドで仕入れたエジプトの物、右はヨークで仕入れたイギリスのノーフォーク州出土のローマ時代の物。共に二千年近く前の物です。お好きな方はどうぞ見にお越し下さい。
最近香港のことがとても気になってます。デモに参加している若者や市民の写真を見たり新聞で記事を読んだりしては、自分は今にでも飛行機に乗って香港に行き、今の香港を身体で感じたい、という思いに駆られます。先日も毎日新聞に行進するデモ隊の先頭をお年寄りの男性が両手で杖を横にするように高く掲げて持ち、歩いている写真が載っていました。感動的写真でした。誤解を招く言い方でしょうが、正直香港が羨ましい、という感情が自分の中にはあります。おそらく今香港で起きていることは世界的に見ても前例のないことでしょう。でも、彼らが身体を張って行動してるのを見ると心から偉いなと思います。当事者意識、という言葉がありますが、正にその意識を全く欠いている今の日本人に僕は心底呆れていますが、何時になったら日本人が香港人のような自覚、覚悟を持つのでしょうか。
金沢の方言に、いいがにしといて、という表現があります。自分にとって良いようにして置いて下さいね、という全く人任せな呑気な言葉なのですが、まあ今の日本はそんな人で一杯なのですよ。なんとも恐い国です。

バカラのリキュール・セット(続き)

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前回のバカラのリキュール・セットの写真をもう三枚。三枚に絞りきれなかったので続けて写真だけ載せます。
先日まで店を休んで九州に帰省してました。福岡の紀ノ国屋書店に新聞の書評の切り抜きをファイルしたものを持って行き、書評で気になっている本を探して貰いました。何時も、朝日、読売、毎日の三紙の書評をチェックして気になったものは切り抜いておくのです。金沢には街中に大きな書店がないので書評に載っている本でも注文しないと買えないことが多く、東京や福岡に行った折にそうやって本をまとめて見るのです。昔は、と言っても10年ほど前はそうやって本屋で探して貰った本の大半をまとめ買いして金沢に送って貰ったりしていました。今回、チェックしていた数冊の本を探して貰い実際に手に取り買ったのは何とゼロ冊。何でだろうと後から考えたのです、もちろんその日の僕の気分など偶然の諸要素もあるでしょうが、僕の答えは、最近の本は時間を余りかけずに作られている、ということ。本を実際に手に取り開いたページを読んでみても何処か薄っぺらというか厚みがないんですね、取り扱ってるテーマは面白くてもこちらが引き込まれていくだけの十分な深さに欠けているんです。迫り来る感じがない、平板なんです。だからこちらの読む「スイッチ」がオンにならない。おそらく本自体が紙の媒体でありながらもネット化している、ネットのブログでも読むような感じのものになってるんですね。そこには作る側の「熱」みたいなものがないんです。わざわざそれを紙媒体の物として出すだけの重みが感じられない。
僕は日頃から古い本ばかり読んでいるのでそれに慣れると昨今新刊として送り出される本のこの薄さ軽さにはどうも馴染めないのです。それに千円単位のお金を使うなら古本を買ったほうがいいかな、と。新聞の書評欄自体も一応目を通しますが今書いたような事情でこちらも余り力が入らずにタダ読んでいる感じです。僕自身もっといろんなものから「熱」を感じて生きていきたい、と思ってるので、その「熱」の感じられないものは身の回りには余り置きたくない、という次第です。

バカラのリキュール・セット

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フランス、バカラ社のリキュール・セット(高さ、デカンタ 20,8cm、グラス 7,8cm)です。1900年頃の物で、デカンタの裏にバカラのシールが貼られていて、デカンタ本体とトップ(蓋)に同じ番号でナンバリングされています。バカラのグラスにしては地味ですね、金彩も無く、一見するとデザインがイギリスのグラスにも見えるくらいです。こういうバカラらしくないバカラは嫌いじゃありません。一見してそれとわからない物です。
今朝俳句の本を読んでいたら、芭蕉は30代の頃に水道土木工事の職人仕事、恐らく職人さんの仕事内容を帳面に記録するような仕事をしていた、と言うことが書いてあってとても以外で驚きました。あの俳句の芭蕉が食べるのに困って土木工事の記録係のような事をやっていた。
何をやっても「食う」と言うのは大変なことです。特に自営業とは不安定さとの戦い、それと如何に上手く付き合っていくかというのがとても重要です。僕自身は余り先のことは余計には考えない、まあ来るものが来たらその時に考えればいいさ、というタイプですが、それでも売れない収入がない日が続くと堪えますね。今だから言えますが、20年近く前のことです。イギリス仕入れから帰って来て全くお金が無い、貯金も無ければお釣りも満足に無い、全財産が七千円、という日がありました。店に立つ僕の唯一の心配は、その日誰かがやって来て千円の物を買おうとして一万円札で払おうとしたらお釣りが無い、という重大な事。流石に、すみませんお釣りがないのでちょっとその一万円札をお借りして両替してきます、なんて言えないでしょ。その日の午後のこと、常連さんがやって来まして色々と眺めている間、僕のほうもその方が千円くらいの物を選ばれるのではないかと内心落ち着かず、その後、何と彼女が買おうとしたのは三千円の物。僕は差し出された商品を包み一万円札を受け取ると、出来る限りなんでも無いような顔を装い、カウンター奥の小棚を開けて千円札を数えるまでもなくそのまま全て鷲摑みするように摑んではちょっと数えるような振りもしてみたりして、そのお札を全て彼女に渡したのです。
僕は、この瞬間、余りにもの偶然の一致の三千円という金額に狼狽しつつも驚きもし、この世の中には神様のような人が居て僕を見ているんじゃないか、と本気で思いました。いや、単に全財産が七千円とバレずに済み嬉しかったのです、多分。その後すぐに店を閉めてその頂いた万札を千円に替えに行きましたね。
これ、本当にあった、20年くらい前の話しです。もうこんな思いはイヤですがいい思い出といえばそうですね。

ダイヤモンドの指輪(続き)

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指輪の写真を三枚に絞れなかったので続けて載せます。今朝家で何かしている時にふと思ったのです、最近の僕のホームページのブログ(?)面白くないな、と。軽薄でつまらない。今日はそれで少し違うことを書いてみます。反省ですね。
昨日近くの古本屋の店頭で「20世紀の神秘思想家たち」(アン・バンクロフト 著)と言う本を買いました。今朝はその本のグルジェフのところを読んでました。グルジェフは20世紀の神秘思想家の中でも最も有名な一人ですね。神秘思想家に僕が昔から惹かれるのはその難解さですかね、難しいけど魅力的でどうしてもそこに近づきたい衝動を抑えられない。そう簡単に開いてくれる「扉」ではないんですね。でもその「扉」の隙き間から漏れているものがあるようで気になって仕方ない、のです。
人間長生きしてて何が楽しいか面白いかって、人間や世の中のことが前よりも深く分かるようになる前よりものがよく見えるようになる見透せるようになる、何気なくつまらないように見えるもの取るに足らないように思えるもの、そんなものが見せる微細な表情の奥にあるものが見えたように思える、そんな一瞬の時間の豊穣さ、その深さを知ることが生きることの面白さのような気がします最近。
名誉やお金も魅力的かもしれませんが所詮それらは自分の身には付かないカザリのようなもの。お金は僕も欲しいですが(今新しい自転車が買いたいのでお金欲しい)、自分の人生観を変えてまで欲しいとは思わないかな(お金を儲けるとは人生における優先順位、プライオリティを変えることですから)。

ダイヤモンドの指輪

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今回仕入れたダイヤモンドの指輪、ローズカットのダイヤに18金のゴールド、バーミングハム、1908年製です。大きさは14号くらいなので男性でも女性でもいけますね。とてもカッコいい指輪です。似合うならば自分でしたいくらいです。個人的にとてもお気に入りの指輪です。
僕の店の近くにローソンがあります。そこは夜の12時から翌朝の7時まで閉まります。そのことと関係があるかは分かりませんが、店員さんに感じのいい人が多く、経営されているご夫婦もとても良い人です。そのコンビニにもう5年くらい前ですかねちょっと変わった中国人の女性が働いてました。金沢の大学に留学してバイトをしていたのですが、僕が朝そのローソンに新聞を買いに行くと、レジでお金を払うときにその子が新聞の一面の見出しの時事問題を指差して、これについてどう思いますか、と訊いてきたりするのです。丸顔のぽちゃっとした女の子でしたが言うことが中々はっきりして面白い子でしたが、大学院に受からず帰国しましたね。
僕は四角四面のそつも無ければ面白味のないただ売るためだけの接客が嫌いです。例えば(実際にあったことですが)僕がポール・スミスに服を買いに行ってコートか何かを試着してみると、どうもイマイチで、僕が、もうちょっと手脚が長かったら似合うんだけどね、と言うと、いえ、とてもお似合いです、と決まりきったセールス文句を言われても、まあ信じませんよね。グッと心に響かない。
それから要らないものを勧めてくる店員さんも苦手です。野菜屋でも古くなったのをはかせたいのか矢鱈に勧めてきたり。
まあ簡単に言うと、僕は自分の言葉で話してくれる店員さんが好きみたいです、マニュアル言葉でなく自分の言葉で物について語れる人がいいですね。後、何でもかんでもイイデスよ、と言わずに多少のマイナス面も含めてきちんと説明できる人。誠実さですかね売り手としての。
それとお店の人の自然な笑顔なんかもいいですよね、営業笑顔でなく。僕が時々行く郊外の中華料理屋を営む中国人のご夫婦の笑顔、特にご主人の笑顔が素敵なんです。どんなに忙しくて疲れていても破顔の笑みで迎えてくれるんです。偉いな、と思います。僕のような甘ちゃんには到底無理ですね。鍛われかたと人格が彼には到底及びません。
今度お客さんが入ってきたら満面の笑みで迎えて、いらっしゃいませステキなアンティーク沢山ありますよ、と明るく陽気にいきましょうかね。