白蝶貝のメモ帳

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イギリスでアンティークを仕入れている時に売り易い物ではないけれど、その美しさと珍しさに惹かれてどうしても買わずにはいられない物がたまにあります。この白蝶貝のメモ帳が正にそれでした(H. 9,7cm W.6,8cm T. 1,8cm)。フランスの物で時代は1860〜80年だと思います。右側に差し込んであるペンを抜くと開けられるようになっています。白蝶貝の浮き彫りがとても深くて奇麗です。スペイン人のコレクターが集めていた物を譲ってもらいました。かなり裕福なご婦人が使っていたのでしょうね。ここまで来るとショーケースに入れて眺めているだけで十分に美しいです。僕も今までにこれに似たような物は見たことがありません。かなり珍しい物ですね。
イギリスに比べると少ないですが、日本の地方の街を旅することがたまにあります。始めての街に降り立ちそこの駅で簡単な地図を貰い、歩きながらそれに自分が訪れたところの情報などを書き込んでいく。僕が必ず行くのは喫茶店と古本屋、そしてバー。昔四国の松山に行った時もいいバーが中々見つからず、どうせ検索したところでロクなところは上位には出て来ないので、繁華街を片っ端から歩いていい「臭い」のするバーを見つけたのを覚えています。趣味性の高い店ほど検索で見つけるのは難しいですし、大人が行く店ほどお客さんはネットに書き込んだりしませんから、いい店ほど意外と情報がなかったりします。金沢にある知る人ぞ知る高級バーも、あるときネットで「金沢のバーランキング」なるものを見つけたのですがその高級バーは名前すら載ってませんでした。それと楽しいのは地元の新聞を買って読むこと、当たり前ですが地方の新聞にはそこの地域性や特徴がよく現れていて楽しいです。前も長野に行って新聞をコンビニで買うと店員さんがレジで『シンマイですね、、』と言うので、えっ新米?と一瞬驚きながらも、その呼び名が信濃毎日新聞の短縮であると気付くのに一秒。そっか、シンマイなんだここでは。ちょっとした発見。それから、美容室のウィンドーを覗いてカットの代金がいくらか見たり、不動産屋でワンルームマンションの賃貸の値段などを眺めては色々と想像するのも楽しいです。
まあ要するにその地方の日常、普通の生活が覗ける場所を訪れるのが楽しいんです。何十年もやっている喫茶店に入り常連のお客さんの何気ない噂話などを聞いてないふりしてメモしたり。少し前にも訪れた街で古い喫茶店に入ると70くらいの写真館の経営者のオヤジさんと60くらいの教授が話していて、最初は街の歯医者は何処がいいかを話していたのが、歯は抜くのがいいか抜かないのがいいか、に話題が移り、70オヤジが、どうせさ色々やったてさ最後は抜くんだからそれだったらいっそ最初からパッと抜いたほうがすっきりするよ、と言いながら今度はある歯科医の子供の話しになり、70オヤジが、あそこはさ息子も娘も別々に歯医者やってっけどさ、両方とも独身でさ、息子は二回結婚して二回別れて独身だからさ、、なんて言ってるのをソッポ向いてパイプ吸いながらしっかり漏らさず聞いてる自分。それからそのオヤジさんが如何にヌードを撮るのが難しいか、を話し始め、シノヤマキシンなんかはさ、あれは素人に毛が生えたくらいのもんだけどなんせモデルがいいからよ、オレが昔撮ったようなモデルとは全然違うからな、技術じゃなくてモデルなんだ、結局、なんて話している。
このオジさん他にも色々な有名カメラマンを俎上に載せてはこき下ろしていた(でも、土門拳は褒めていた)ので、よっぽど割って入って、最近アラーキーも逆風吹いてて大変ですよね、なんて僕が言ったらオヤジが君は誰が好きなのなんて訊いて来て、そうですね、、Don McCullen もいいですし、Mary Ellen Mark なんかも好きですよ、、なんて言っている自分を空想しながらもやはり無言のままそこを退散したのでした。

古いマグカップ?

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イギリス19世紀初頭の磁器のカップ、この形の物は恐らく最初からソーサー(受け皿)がありません。マグカップと書きましたが、真ん中の物でも縦横共に7cmもありませんのでかなり小振りです。この時代の筒形のカップが好きなのでそんなに売れないけれど何時もイギリスで見つけると買い足しております。これも今回仕入れた物です、現在お店が仕入れた物に溢れて混沌状態なので、ホームページに掲載された物がご来店時に見当たらない場合はお尋ね下さい。売れている場合もありますが大体何処かに隠れていたりするので。
最近本を買うときの判断基準の一つが自分の部屋に置きたいかどうか、と言うこと。僕が所有している本の大半は店の二階に有り、そのうち今の自分にとって大切と思える物だけを選んで800〜900冊程度の本と画集を自分の部屋の本棚に並べています。自分が物を考えたりする上で大切な本、自分にとって大切な作家、研究者の本(大体物故者が多い)、何時か読もうと思いながらまだ読めずにいる名作、大作だけを選んで本棚に収めています。本は読むために買うと言うより、それを手元においていて何時でも好きな時に手に取れる為に買っている、まあつまり読む可能性に備えて手元に置いておく。でも要らない本、有っても無くても良いようなその程度の本は一冊でも増やしたくない。夜中に本棚の中から一冊を選び机に着いて少し読む、また別の本を取り出して読んだり眺めたり、それらはどれも命を削るようにして書かれた重たい本ばかり。そのうち暗い部屋の中でこれらの本全体から発せられていると感じる威圧感に自分は少し恍惚とすると同時に、自分にはこんな素晴らしいものは到底書けないと思う安心感のようなものを感じる。数日前も夜中に昔買った『グレン・グールド発言集』(みすず書房)を書棚から取り出して適当にページを開き読む。彼が何故コンサートでピアノを弾くことを止めたかが書いてあり、彼は聴衆と言うものが嫌いだったらしい。その逆のタイプの演奏家としてルビンシュタインが挙げられていて納得する。
先日も少し迷った後に『テクニウム』(みすず書房)という本を買い、これがこの本棚に仲間入りした最近の本だ、テクノロジーに関する本なのだが、その中に「アーミッシュのハッカー」と言うタイトルの章がありそのタイトルに自分はとても惹かれたのだ。「アーミッシュ」と「ハッカー」が結びついているなんてそれだけでもう十分な刺激です。
「みすず書房」はとても良い本を沢山出していて僕も結構買ってはいるのだが、お値段のほうがもう少し安くなってくれると嬉しいのですがね。ちょっとした本でも高級フレンチのランチぐらいのお値段しますからね。まあランチは食べれば胃袋に消える訳でそれよりは有効なお金の使い方かもしれませんが、、。

Blue & Whiteのお皿

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今回仕入れたBlue & White のお皿(D.24,5cm)、イギリスの物で1810〜30年頃の物。お皿全体が深いブルーでとても奇麗です。今までにこの種のお皿は沢山見ましたがこれだけ白の余白がなく全体が青いのは少ないですし青の色がとても奇麗です。友人の家に行って仕入れて来ました。実は同じ物を6枚仕入れたのですが重くて(彼の家では他にも絵画を仕入れたので荷物が凄かったのです、電車に乗ってロンドンに戻るのが大変)、2枚だけ持って帰りました。個人的にもこのBlue & White はとても気に入っています。
今回は陶磁器の良いのが割と多いです、まあ売れるかどうかは別として個人的に気に入っている物がちょこちょことあります。それにしても陶磁器のパッキングの面倒くさいこと、仕事とは言えやめたくなります。陶磁器やグラスを持ってイギリスの田舎をうろうろ、電車やタクシー、ときにはバスも乗り継いで重い袋を抱えて歩くわけです。この写真のお皿は友人の家で買い付け、そこから車で駅まで送ってもらいロンドンまで電車に揺られて一時間強、それから地下鉄に乗り換えて、と言う次第。でもわざわざ友人の家まで行ったお陰で素敵なお皿が手に入りました。
イギリスでは本当によく電車に乗ります。ロンドンから東西南北全ての方向に向けて移動しますからその度に電車の世話になるわけです。ロンドンの地下鉄は毎日ですが、電車でも地下鉄でも感心するのは僕がホームや通路を移動している時にスカーフか何かの持ち物を落としたりするとすぐ誰かが後ろから声を掛けてくれたりサッと拾ってくれたりして、多くの人が行き交う中でもみんな周りの人をよく気に掛けてくれること。特にロンドンは変な格好していたりとても変な物を抱えたりしていても先ず奇異の眼で見られると言うことは無い、つまり皆さん無関心を装ってくれる。その一方で重い荷物を持っていたり乗り降りに困っていたりすると何処からとも無くサッとびっくりするほどの速さで手が延びて来る。普段は無関心を装ってくれながらもみんな実はしっかりと周りを見ていて必要とあらばサッと、そしてさり気ない助けの手が延びる。僕の友人はこれを、偉大なる無関心、と呼んでいますが僕も同感ですしそれがロンドンの魅力です。先日も友人がロンドンの地下鉄でエスカレーターに乗っていた時に、男性の老人がエスカレーターに乗ろうとした時に持っていたスーツケースが引っ掛かりよろめいて倒れそうになったのをその側を駆け上がりながら追い越そうとしていた若い黒人男性がサッと片手を延ばして老人の体を支え直して助けた、そんな光景を目にしたそうです。だからロンドンの地下鉄は不思議と殺伐とはしておらず何処かヒューマンなのです。知らない人の手に助けられるって本当に嬉しいものですし、それでこっちが Thanks と軽く礼を言うと向こうもちゃんと何かの合図や言葉を返してくれる。心暖まりますよ、一瞬ですがね。不特定多数の人間の一時的な集まりの中にさり気ない接点があるのと無いのではこちらの気分も変わって来るんです、当たり前ですが。マスクにスマホの人が無関心を決め込んで並んでいる昨今の日本の地下鉄はやはりそう言った意味では異常だと思います。

ミントンのデミタス・カップ

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イギリスから帰国して一週間が経ちました、時差ボケと疲労からの回復は何時もキツいものです。イギリスで四週間動き回るとペース配分を考えてやっていてもどうしても最後のほうは体に無理が来ているようです。もっと短くコンパクトな仕入れも十分に可能ですが、イヤなんですよね。こうやって色んなところに足を運んで沢山たくさんのものを見て、最後のほうは吐きそうに感じるくらいにアンティークを見ることになるので、もう当分はいいや見なくても、と思ってしまうほどにたくさん見る。でも思うにこの見る量の大きさが日本に帰ってお客さんに説明したりするときの自信になってもいるようです。死ぬほどたくさん見ることで僕の脳裏に朧げに蓄積されていくイメージのようなものが変化成長するんです。だからこれを止めてはいけないんですね、一つのものを買うためには沢山見る。目指せ非効率、ですね。
写真は1900~10年頃のミントンのデミタスカップ、どれも奇麗です。グラスと一緒で陶磁器も今のイギリスでは個人的な関係を築きながら仕入れていかないと良いものは手に入りませんね。
あ、そうそう、沢山見ながらイギリス全土をウロウロしているとアンティークの世界での変化が少しですが見えて来るんですね。それが今後の自分のものの探しかたの参考にもなる。こう動けばいいかも、とか、ちょっとした会話、目にしたものなどが自分の心の中で引っかかるときがあり、それでまた考えていくんです。何処の世界もそうでしょうが、群れをなさずに独特な動きをしている人がアンティークの世界にもいて幸運にもそう言う人に会うと色々とヒントを貰えますし仕入れの助けにもなるのです。僕の仕入れが長いのはそうやってアウトサイダーに近い人を探していると言う側面もあるのかも知れません。
荷物が大体届いたので今から荷解きしてグチャグチャの店内に新入荷のものを並べないといけません。もう並べるスペースなんて何処にもないんですけどね。

珍しいカットグラス(その2)

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前回紹介したカットグラスの写真をもう三枚。右の写真のようにお酒を入れてないときのこの時代のグラス特有の輝きを撮りたいと思いシャッターを切りましたが、どうでしょう。少しはその感じがお分かり頂けますかね。なんかこう、どろっとした硬質感、そんな感じをカメラに収めたかったのですが。
最近夜中の三時頃に起きて朝まで机に付いて読んだり書いたり寝たりしています。実のところ寝ている時間が一番長いかもしれません。それならいっそ布団で寝ればいいじゃない、と言われるでしょうが、机に付いたままあれこれ考えている内に寝てしまい、また起きて読んだり書いたりの取り留めもない連続が楽しいのです。手近にある本を適当に手に取り読む、眠くなる、ノートに何か書き付ける、眠い、そして寝てしまい夢を見る、起きてやっと頭が冴えて来る。この頃にはもう明け方で、やっと今書いている物語を少し書いてみる。とは言え、書いた字数はせいぜい四百字くらいのもの。この、読む、考える、寝る(夢を見る)、書く、を繰り返しているうちに自分の頭の中が何でしょうね、カクテルみたいに感じるときがあるんですよ。この渾然とした意識を味わうとでも言うのでしょうか、クンデラの小説の後にプルーストに関する評論をちょい読みしたかと思えば、近世イギリスの移民政策(昔は沢山の貧民や罪人が厄介払いのようにアメリカやオーストラリアに強制移民させられた)の本もこれまたちょい読み、やっと今度は自分の物語の世界に没入する、または物語のためのノートをしこしことノートの端に小さな字で書き付ける。そんなことをダラダラとやっていると、それら異質の作業が互いに溶け合うと言うか、いやまあ、ぐちゃぐちゃになるんですよ。読む、と、書く、と言うのがありますが、今の僕にとってはこの二つは限りなく近い行為で、特に読む行為は読みながらも何処かで同時に書いている自分が居る、そんな感じの読書です。だから読むと書くは連続した一つの行為に近い。よって読めない本も増えて来る(現代の小説は殆どアウト、読めません)。つまり、書いているときの自分の意識と余りにも乖離した意識レベルを強いられる読み物は耐えられない(特に小説は耐えられない)。まあそんな感じで自分の脳内カクテルの味わいを半分寝ながらほぼ毎夜楽しんでいる訳です。
今日の文章はそんな僕の戯言でした。まあ次回はもっとちゃんとしたことを書く予定!です。