ショーケースの小物たち

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横長のアンティークのショーケースの中にあるアンティークの小物たち、シルバーの鳥のブローチ、バックル、ゴールドのカフス・リンク、ペンダント、金の爪楊枝、シルバーのシャンパンの泡抜き、ブロンズのカエル、指輪、聖クリストファーのお守り、シルバーのブックマーカー、シルバーのフルーツナイフ、若い女性が亡くなった日付が彫り込まれたブローチ、シルバーのスカーフ留め、懐中時計のチェーンに付けた方位磁石、ゴールドストーンの本(聖書)の形のお守り、シルバーにエナメルのイヤリング。こんな様々な小さな物たちが一つのケースに入っているのを見るのが好きです。ケースに入っていて触れられないと何か少しだけ別世界の物のような気がしますね。ただ蓋を開ければいいだけなのに。不思議です。

ローマン・リング

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ローマ時代の指輪で握手している意匠、これはフェデ・リングという物で結婚指輪らしいです。鉄製です。これも去年の暮れにイングランド北部で仕入れました。サイズは10号くらいです。割と薄くて軽い感じのする物です。ご興味おありの方はご来店下さい。
先日昔から親しくして頂いている骨董屋さんから、お元気ですか、とお電話を頂き色々と話しているうちに最近流行のインスタグラムを使って骨董品を見せる商売のやりかたに話しが及び、彼が、やっぱり古いものは実際に触ってみて風を感じないといけませんなぁ、と仰り、「風を感じる」とはいい表現だな、と感心した次第です。骨董を大雑把に二分すると、「きれい系」と「渋い系」に分けることが出来ると思いますが、写真で分かり難いのが、この「渋い系」ですね。渋い物でもみんなに人気のある物には偽物も沢山出回っていますし、こういう渋いのが流行っている、と言う何となくの流行を追いかけるように買ってしまうと何れは飽きてしまうものです。それと、物を落ち着いて見る、と言うのはとても重要です。イギリスでもアンティークの市などで初出し屋(人の家などに直接行って古い物を買い付けて来る業者)のテーブルの周りに強者の年配業者が隙き間なくぎっしり張り付いて、物がテーブルに置かれるとすぐそれを奪い合うように買っているのを見掛けます。いくらプロでもこんなときはやはり平常心を失っているもので、何時もなら見えるはずのキズやヒビが見えなかったり、買わなくていい物までその場の雰囲気に知らず呑まれて手を出してしまうもの、なのです。強かな初出し屋になるとその辺のさじ加減が微妙で、強者ディーラーたちが見事手玉に取られていたりします。僕も昔はそんな中に小さな体で割り込んで買ったりもしていましたが、最近は殆どしませんね。まあ簡単に言うと、人が買っている物は何となく良く見えてしまう、逃した魚は大きい、と言うことでしょうか。だから最近はアンティークの市でもそのような人たちを尻目に、一人誰も行かないような隅っこをウロウロして無駄話をしていたりするのです。焦らない、ゆっくりじっくりと見る。やはりこの辺りが基本でしょうか物探しの。

フランス19世紀の置き時計

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フランス19世紀後半の置き時計(約8cm×約9cm)、持ち運び用のケースが付いています。馬車などで移動するときにケースに入れたのでしょう。かなり裕福な人が所有していた物と思います。ネジを巻くと大体5、6日は動きます。時計屋さんに持って行きメンテナンスをしてもらったのでほぼ正確に動きます。真鍮で出来た本体に耳を近づけるととても優しい音がします。暫く時計屋さんに預けていたのでまだ殆どの方の目に触れていないと思います。品のある、エレガントな時計です。
先日某新聞の書評欄に『俳人風狂列伝』(石川桂郎 著 中公文庫)が紹介されていたので早速本屋で買い求めました。'74年に単行本(角川選書)で出された本の文庫化です。半世紀近く前に書かれた本ですね。私は寡聞にして石川桂郎(けいろう)と言う人を今まで知りませんでした。明治42年生れの俳人、小説家らしいです。小説は横光利一に師事、と経歴に書かれています。この本の中では計十一人の俳人が取り上げられていますが、私が知っているのは山頭火、尾崎放哉、西東三鬼くらいで後の八人は知りませんでした。この本ここ一週間くらい夜中に起きて机で読んでいるのですが、頗る面白い。とても面白いのです。もう八人読んでしまったので、後残るは三人だけ。久しぶりに濃密な本と出会いました。解説は詩人の高橋順子で、彼女がこう書いています、「自由律の俳人は季語の代わりに彼の人生を据えなければならないのが厳しいところだ」。至言ですね。二日前の夜中にこの本を読んでいて、ふと思いついたことを幾つか本の余白に書き付けました。それをここに書いてみますので、解釈はご自由に、、。ではまた。

人が人を受け止めるその度量について考える。
「誠実」と言う言葉を人は失って久しい。
濃密さを備えた本のページを捲(めく)るときのその喜び。
「言葉」と「人」が同義語に思えるその錯覚。
「風狂」は死語、だが人は狂わずには生きられないもの。

19世紀初めの物を3つ

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19世紀初頭のアンティークを三点、左からコーヒーカップ、真ん中は高さ4cm 程の木製の箱、恐らくサイコロ入れです。蓋はねじ込み式になっています。右は漆の嗅ぎタバコ入れ、口径7cm 程です。表面に風景が描かれています。まあ自慢じゃありませんが、どれも売れ難いものです、左のカップはまだしも、真ん中と右は誰が買うんでしょうね、、。でも自分はこんな雰囲気のイギリスの物が大好きです。特にこの時代の地味で渋い物が好きですね、イギリスの物でもヴィクトリア時代に入るとだんだんと華美になっていくので、その前の時代の物が好きです。
「人間の経済」(新潮新書 宇沢弘文 著) という本を先日読み終えました。とてもいい本でした、まあ何といいましょうか、日本の政治家がこの本を読んだらこの国も変わるだろうなぁ、と思いながら読みました。例えば、(温暖化の話しで)二酸化炭素の排出権取り引きが如何に反社会的で非倫理的なものか、という話しもとても面白かったです。新聞記事だとそこまで踏み込んだものは余り見ないように思います。今日は昭和40年代に出た、「俳人風狂列伝」(中公文庫 石川桂郎 著) という本が文庫で新しく出ていたので買いました。とても面白そうです。今日の毎日新聞の書評欄に載っていたので本屋で求めた次第です。明治、大正、昭和の俳人の中にはとてもいい俳句を作りながらも一般の人には知られていない人が結構います、色んな本に当たりながらそういう、知る人ぞ知る孤高の俳人と出会うのは愉しいです。今は情報量が多い分、自分なりに独特のアンテナの張りかたをしていないとそういう「出会い」をするのは難しいです。ネットの検索で、孤高、俳人、の二語で検索してもとんでもなく異質なものまで混ざって表示されると思います。そして次には、私の入力したその二つの言葉から連想された商品がページの脇にやたらピカピカと光って表示されている、と言うことになります。それは、孤高のプロレスラーに関する商品だったりするわけです、、ほっといて欲しいです。欲しいものは自分で探すので勝手にオススメして欲しくないです。そんなに私の消費行動を分かったようなフリをして欲しくないし、本当に気分悪いです。だから Tカードも持ってはいますが余り財布から出しません。ビッグデータ集めるのに寄与して、その代償に10円、20円貰ってもね、、という感じ。まあそれと、いちいち財布から取り出すのが面倒くさい、というのが正直なところ。
では皆さん、お元気で。僕は今から近くのコーヒー屋にサボりに行きます。カフェインを体に注入してその高揚感を楽しんで来ます。ではお元気で。雪の溶け始める金沢にて、、。

フランスの金彩グラス

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今回仕入れたフランスの金彩グラス、小さなタンブラーです(高さ9,6cm, 上の口径5,5cm)。1900年頃の物で、ちょっとビールや日本酒を飲むのにいいサイズですね。下の部分が細いので人によってはちょっと不安定に感じるかもしれませんが、別に据わりが悪い訳ではありません。グラス底部はきれいにフラットに処理されています。グラスの生地は上質です。
自宅で横になっているときなどに、このページであれについて書こう、これはどうだろう、などと思いを巡らすことが時々有り、色々と頭に溜まったテーマがあるのですが、いざパソコンを開くと全く別のことを書いてしまったりで中々頭の中に思い溜めているテーマを消化し切れないでいます。
それで今回は、「便利さに騙されない」について書こうと思います。「便利になる」と言うのは一応いいことだとは思うのですが、ここまで何でも簡単に出来てしまう世の中になると恐い気もする昨今です。私自身はその「便利」と言うやつに何時もかなり懐疑的でして、「便利教」とでも言いましょうかある種の宗教色すら帯びているのがこの「便利」と言う奴。「便利」の裏にある、ダークな部分は見ない振りして皆で邁進しましょう、というこの感じ。かなり恐いです。便利さを支えるベースになっている技術は元々戦争のために開発されたものだったり、便利さと引き換えに「誰か」に手放しで渡している様々なもの、一見こちらが恩恵を受けているように見えて、本当に得をしているのは誰なのか、何もかも更に更に小さく速くなるのを何となくではあるにせよ絶対的な善、つまり前進であると何故皆考えているのか。極度な利便性の中で崩壊していく人らしさ、増えていく精神疾患、マスクをしてスマホを弄りながら猫背で歩く人々、他人のちょっとしたミスに苛つくオヤジたち、ちょっとした瑕疵(キズ)には異様に拘りながらもその全景が見えない、というか見ようとしない人の集まり、自分たちが生きている間だけ平和にそこそこ暮らせればいいか、後は知らんわ、と逃げを決め込んで高級食材にだけは拘る老人たち、大人になることの憧れやモデルが持てないままに惰性で歳をとっていくしかない不幸な若者、書き出すと切りがないのですが、、今挙げたようなことと過度な便利さは程度の差はあれ関連していると思うのです。
恐らくですが、本当は皆心の何処かで、もうこの変でいいんじゃない、行き過ぎだよこの便利って言う奴なんだけど、、と呟いているんじゃないかと思うんですよ。
私は便利さを追い続けることで最も得をしているのは、そのダークな部分を最も知り尽くしたほんの一握りの悪い人たちだと思います。彼らこそ便利がいいなんて思ってないと思いますね、ただそれはもの凄く儲かる、のでそうしてるだけ、ですよきっと。だから私は ITとか IOT とか、余り信用していないですね。そうそう、 AIも怖いですね、ある意味。誇張に聞こえるかもしれませんが、核に似てますね、使いようで大変な悪になり得る。と、パソコン使って書いているこの私の矛盾した態度!!