可愛いアクセサリー3点

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可愛いアクセサリーを3点、左は静白(せいは)さんと言う若手作家のイヤリング、シルバーにプリカジュールの技法で作られています。付けるとエナメルが光に透けて見えて綺麗です。真ん中はイギリスの1920年代のブローチ、シルバーにエナメル彩色(長さ3センチ弱)。右は真ん中と同時代のブローチ、イギリス物で同じくシルバーにエナメル彩色。3点とも小さくてスッキリとした可愛らしさがあります。
もう少しでイギリス仕入れです。22年目の仕入れに入りますので、まあ割と長いですね。20年越えてますから。でも今度の仕入れは初心に返ったつもりで行こうと思っています。何でもそうだと思いますが長年やってると、慣れからくる慢心とでも言いますか、もう俺もこれだけやってるんだから、みたいな余り根拠のない変な気持ちの余裕、隙(すき)みたいなものが生じてたりするんですが、これが良くない。本当に良くないですね。今までの過去20年をドブにバッサリ捨ててから、新しい気持ちでイギリスに出掛けたいと思っています。前にも書いたことがあるかもしれませんが、何かを長くやっている、そのことそのものには何の意味も価値も無いと思うんです。長く生きてるから偉いですか、長く何期もやってる政治家は信頼に足るでしょうか。年上だから尊敬に値するとは必ずしも言えません。若い人たちはダラシない大人を内心せいぜいバカにして侮蔑すればいいんです、アァあんなにはなりたくねえや、と。僕は生意気だったりツッパってる若い子は好きです。せいぜい反抗頑張って下さい、応援してます。それよりも若い頃からいつも笑顔でペコペコ頭ばかり下げてそつ無い若い人見ると、僕は思うんです。本当に心からそう思ってるのもっと正直に生きないと途中で腐っちゃうよ、ってね。そんな人は頭下げる前に、誠実の二文字について考えて下さい。誠実であることは何の現世利益をもたらしてはくれませんが、とても大切な資質だと思います。若い方達は余り直ぐに世に馴染みすぎないほうが良いと思います。だって、過去より未来のほうがずっとずっと長いんですよ。だからある程度好きにしなきゃ。
可愛いアクセサリーとは全く話しが逸れましたね。

1800年頃のジングラス

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イギリスのジングラス、左は18世紀末、真ん中と右は19世紀初めの物。高さは7センチ余りの小さなグラスです。左のグラスは足の部分がチップしにくいように二重に折り返してあります。左のグラスは他の二つより30〜40年程古いのでグラスの質感が多少違います。言葉では言い難いですが左の古いグラスのほうが柔らかく包み込むような光りかたをする、そんな感じですね。もわーっとした輝き、それが1800年を越すともっとクリアでハッキリとした感じになって来る。言い忘れました、左のグラスは型吹きで作られているので縦に模様が入っています。
もうすぐ大型連休ですね、元号も変わるらしいですが、私は眠い、春日和のせいか眠いです。自慢じゃないけど私の店のある商店街は新幹線が開通してからは観光客がガタ減りで、連休もそんなに人が来ないんですね。観光ルートから外れてしまったんです。昔はこの通りも骨董街なんて言われてましたが、今時骨董を探してぶらぶら散策なんてかなり奇特な方だけがすることですね。まず、ぶらぶらなんてしませんから。スポットからスポットを繋ぐように無駄なく動くのが今の観光ですかね。
金沢も観光と言えば、21世紀美術館に東山の茶屋街がその代表格です、どちらも僕はまず行きません。人が多いので避けます。あの美術館ももっとエッジの効いたメッセージ性の強い企画をしてくれると良いのですが、最近は最早あそこはアート系テーマパークのようですね。残念です。美術が大衆に迎合していくと、質ではなく(入場者)数に拘ると、どのようなものになるのかその好例だと思います。東山も行きません、人とお金しかありませんから。
皆さんが色んなところから金沢に来られるのは、一つにはのんびり出来るからだと思うんですよ。それに加えて美味しい食べ物や美しい自然、街並みがある。京都は人が多過ぎるからと金沢に来る人がいます。金沢はだから人が多くなり過ぎたらいけないんですね絶対に。地元の新聞は二紙ともそんなことは余り書かないような気がします。地元紙は余り読まないので断言はできませんがね。
この間の市議選の時に街中で恐らく保守系の候補者だとおもいますが、こう連呼していました、金沢ブランドをホンモノのホンモノの金沢ブランドにしていくために私にお力を貸して下さい、と。頭が悪過ぎて話になりません、論外です。まあこんなのに限ってきっと当選してるんですね。

バカラの香水瓶

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乳白色のガラスの香水瓶(高さ12cm)、19世紀後半の物。この時代のフランスのグラス専門の人から仕入れたのですが、バカラ製らしいです。個人的に蛇が好きなので仕入れました。
最近読んでいる本で、成る程、と納得したことについて書きます。「山岡鉄舟」(大森曹玄 著、春秋社)を読んでいたら、山岡鉄舟の言葉として、人の眼の光とはその人が内に蓄えた徳の発露である、と言う意味のことが書かれてあり、それを読んだときに、成る程、眼の光は徳の発露か、とハッとさせられました。ここで言う眼の光は単に眼光鋭いと言うのともちょっと違うとは思いますが、中々に意味深い言葉です。もう一つは吉行淳之介と開高健との対談集、「街に顔があった頃」(新潮文庫)を読んでいたら、百戦錬磨の銀座のママがお客から銭が回収出来るかどうかを見極めるときに、その人の眼と、それから後ろ姿の肩先のうなじ辺りを見る、と言う話が書いてあって、僕はそれを読んだときにやっぱりね、と思ったのです。ちょっと違いはしますが、悪いことをしている人、影でダークなことに手を染めている人って、背中の上のうなじ辺りが墨絵のように黒い感じに見えることが今まで過去に数度ありまして、この文章を眼にしたときに、ヤッパリうなじだよね、と思ったのです。どんなに良い服を着て身綺麗にしていても、どんなに愛想良くて笑顔でも、この黒い墨色の霞がモワッと見えるときがあるんですよ。悪いアンティーク・ディーラーなんかもそんな雰囲気漂ってます。怖いでしょ。怖いです。そんな人には近寄らずもう二度と会わないようにします。背中の辺りに出るんですよね悪いことしてると、ある年齢を越えたあたりから。人は騙せません。

18世紀イギリスのグラス

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イギリス18世紀のグラスです。左の写真の左端のグラスは19世紀、右の写真のボトルの隣りはローマ時代ですが、残りは全部1750年〜1800年の物です。ぼくが一番好きな時代のグラスです。まだフランスのバカラのグラスが高級グラスとしての地位を築く前ですね。産業革命で栄え始めたイギリスとしては自前で高級のグラスや磁器を作ることがイタリアやフランスに肩を並べる国になる、そんな気概も当時はあったのではないかと思います。昔の日本が中国や朝鮮の陶磁器をせっせとコピーして作っていたのにも少し通じるところがあるでしょうか。日本とイギリスは大陸の果てにある島国という地理的条件からどこかしら似たところがありますね。自分たちは他と違っていてどこか特別、と思い込んでいるところなども似ています。
先日ピーター・バラカンさんのラジオで The Specials と言うイギリスのバンドが21年ぶりに出したアルバム Encore が紹介されていて早速CDを購入。ジャマイカン とパンクを合わせたような音楽で、かなり政治色の強い曲もありますが、兎に角クールでカッコいいんです。英会話の授業でもテキストとして使いました(生徒約1名募集中)。40年程活動しているバンドらしいですが全く知りませんでした。それから昨日近くの古本屋で展覧会の図録を買いパラパラと捲っていたら、蜘蛛や蛙や鰻(?)などを描いた不思議な絵が何枚か載っていて画家の名前はと見ると、小茂田青樹(おもだせいじゅ)とあります。大正期から昭和に掛けて活動していた画家らしいです、寡聞にして知りませんでした。
知らないものを発見するのは刺激でもあり楽しいものです。でもそれは、ネットを介してではなく、こんなふうに生のラジオだったりたまたま古本屋の棚の脇に並んでいた図録だったりするから、それは刺激たり得る訳で、ネットのお節介なオススメのように自分の消費行動に他人が介入してくるときの腹立たしさは感じなくて済む訳です。そう言えば最近ネットニュースを見るのも一切止めました。理由ですか、簡単明白。頭に残らないので読んだ後虚しいから、それと、眼が疲れる。記憶に残らない単なる刹那的な刺激でしかない情報は取り込まなくていいかな、と思ったのです。SNSでヒマつぶしをするオッさんたちの空虚さを思うと、ネットってホントに何なのかな、、、と思ってしまいます。「使う」のは良いが「使われ」てはいけない、と言うことですかね。
今日はたまたまお昼時に地元のAMラジオに生出演(10分のみ)して、そのハイテンションに付いていくのにエネルギーを使い果たしました。ラジオはFMが好きです。次回はFMに出たいです、誰か出しってやって下さい。

ウイスキー・デカンター

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1900年頃のイギリスのウイスキー・デカンター(H.21.5cm)です、型吹きで面取りがしてあり、その上から割と深く'Whisky' と彫っています。ボディのトップはシルバーですね、シェフィールドの刻印がありますがちょっとボヤけていて正確な製作年は分かりません。ほぼ間違いなく1900〜10年頃だと思います。
最近大分前に買っておいたイギリス・アンティークの専門書で、ヴィクトリア&アルバート博物館から出ている 'Elegant Eatings' を辞書を引きながら読んでいます。イギリスの食に関する習慣、様式の16世紀辺りから現代までの変遷を網羅したとても面白い本で、知らないことが多く書かれてありとても為になります。18、19世紀の食卓風景の絵画や版画の写真を見ていると、テーブルの中央に大きな磁器製のパンチ・ボールが置かれ、グラスにパンチ(酒に果実汁とスパイスを加えた物)を入れて飲んでは泥酔する男たちが描かれています。それ程にパンチという飲み物は当時の人に広く飲まれたのでしょう。でも、不思議なのはアンティーク・グラスでパンチ・グラスと言う呼ばれかたをする物は無いんです。恐らくワイングラスなどと兼用だったのでしょうがちょっと不思議です。でも、18世紀末頃に磁器のパンチ・ボールからグラスに注いで飲んでいた男たちは庶民では無いですね、磁器のボールと透明の鉛グラスが家にあるだけでもかなりのものです。
大まかな話ですが、私たちが今知っている食にまつわる習慣、様式のベースが固まって来るのが大体18世紀の終わり頃からですね。イギリスでもそれよりも前の時代だと色んなことがかなり違ってくるようです。一番わかり易い例では、フォークが一般的に使われるようになるのはこの頃からです。
そろそろ春ですね、僕は時々家の近くにある幕末から続いている老舗和菓子屋で桜餅を買ってコーヒーと一緒に食べています。和菓子と温泉、これが僕にとっての「金沢」です。