デザインの良い指輪

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指輪を二つ、両方ともに9金です、左の物はエメラルドにアメジスト、右は恐らくガラスのカメオです。左は余り古くないです、数十年前の物、所謂ヴィンテージ(便利な言葉ですね)、右は百年ほど前の物。共にリングの大きさは12〜13号です。ご興味おありの方はご来店下さい(そう言えば最近誰も来ません、人気無いのかも)。
何度もこのホームページでも呟いてますが、僕は過度の便利さが嫌いです。何故かと言う理由は幾つかありますが、過度の便利は人から想像力を奪うから。ネットばかりやってると間違いなく確実に想像力が減退する、と言うかそのことにすら気付かない。よく新聞とか雑誌で著名な文芸評論家が寄稿してますが、そう言う視点からは余り書いたりしませんね。過度の利便性の中で言葉が死んでいく。言葉というものの根源から始めて文芸を語る姿勢はないように感じます。
昔、大学に在籍していた頃、僕が唯一貰った「優」の評価の授業が哲学、現象学(メルロ・ポンティ)でしたが、その先生のゼミ形式の授業が中々刺激的でした。彼がその日の朝に妻と交わした何気ない会話を例に取り、そこから哲学的考察が始まったりして今でも心に何と無く残ってます。彼がある時こう言ったんです、僕は武田泰淳が死んだ後はもう文学作品は読みません、彼が死んでもう文学は終わったと思う、言葉は少し違うかもしれませんがそんなことを仰ってました。それに倣って言えば、中上健次が死んだ辺りから、もう作家なんてものはこの日本からは消えたのかな、と。先日彼のインタヴューを集めた本を摘み読みしているときに改めてそう思いました。僕は中上健次の特に熱心な読者ではないですが、それでも彼は矢張り別格の存在でしたね。そう思います。同じ日にフランソワ・チャンと言う在仏の小説家の小説を読んでいましたが、何処かウソ臭くて、100ページも行かないうちに止まってしまいました。なんかね、彼は頭で書いてるんですよ。シラケますわ読んでて。いや、とても上手に読ませるんですよ。でもね、何となくウソを感じるんです。ポーズですね、イヤらしいんです。それを読んだ後にたまたま中上健次の本を捲ったんですよ、本物のふりをしたフェイクの後に本物を読んでスッキリした訳です。
僕はワザトラシイものは嫌いですし、やはり良くないと思いますし、そんなものを受け入れてはいけないと思います。

ケルトのお守り?

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今回仕入れた物の中でも変わった一品です。5〜6世紀頃のスカンジナビアの物(3.4cm x 2.4cm)で、小石の表面にケルト模様が彫られています。何かお守りのような物だったのでしょうか、よく分かりません。スコットランド北部の人が所有していたらしいです。掌に握った感じが良く、とても惹かれますね。何の役にも立ちませんがとても魅力的です。
出来ることならこんな役にも立ちそうにない物だけを数点店に並べて西洋骨董点をやってみたいものです。まるで、つげ義春さんの名作漫画「無能の人」の主人公のように。まあ僕のような俗世人には到底無理ですが。昔、金沢大学で英語を教えていたイギリス人女性に日本語を教えるのにこの漫画をテキストに使ったことがあるのですが、英語に訳すとなると内容が難しくて手こずったのを記憶しています。老荘思想だの韜晦趣味だの、そんなのが色々と出て来ますからね。そのイギリス人のお父様がケンブリッジ大学の高名な数学者で一度だけランチに招かれてケンブリッジ近郊のご自宅に行ったものの、この僕に共通の話題を探し出すのは困難なことで、厳格な数学者である紳士と話すことも少なく、大きな窓の向こうに見える庭に餌を啄ばみに降りて来る鳥達をただ見ながらお茶を濁していた記憶があります。
そもそも西洋人には「無能」ということを肯定的に捉えて理解するのは難しいと思います。西洋にも隠者の思想はありますが、特に近代以降のヨーロッパはそんな人間の有り様をかなぐり捨てた感がありますよね。その金沢に居た彼女はケンブリッジ大学を出た後にイギリスの刑務所で詩作を教えたりしていた人、今頃はイギリスの何処かの大学で教えてるはず。まあもう「無能の人」は忘れてるかもしれませんが。

今回仕入れた指輪

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今回仕入れた指輪です、18金にルビーにサファイアとシードパール。イギリス、1900年頃の物です。サイズは14号ぐらいで女性物としては少し大きめ、デザインは中々素敵です。
最近、金沢が嫌い、と言う記事を書きました。その言い訳ではないのですが、僕は能登半島が大好きなのです。特に中能登辺りと能登島が好きです。月に一回くらいは能登にドライブで行きますね。あの辺りは土地のエネルギーも強いような気がしますし、人もちょっと変な人が居たりして、あの飾らない気さくな雰囲気が好きです。金沢には無い、自分たちをネタにしてちょっと笑ってるようなとこが好きなんです。UFOで町興しをしている羽咋市にあるパン屋に行くとUFOパンやUFOのお面や団扇なんかがあって楽しいんです。能登の人から聞いた話しですが、羽咋市の畑で農作業していたおじいさんが帽子を被っていてよく見ると帽子に'NASA' って書いてあったとか、、兎に角楽しいんです能登は。矢張り半島と言う地形は面白いものを育むのでしょうか。
金沢の魅力は西に行けば加賀温泉郷があり北に行くと能登半島があるという、その後ろに控えているものがあってこそ金沢は光ることが出来るのじゃないかと思いますがね。金沢だけ抜き取ってみてもさして面白くない、その周囲の魅力に支えられているのだと思います。

オメガの時計

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'60年ごろのオメガの時計です。フェイスが綺麗だったので、一目見て気に入り買いました。信頼出来るアンティーク・ディーラーから仕入れました。有名ブランドの時計の仕入れは難しいので最近はあまり仕入れません。でもこれは気に入り仕入れた次第です。ご興味おありの方はご来店下さい。綺麗に動いてますが、明日いつもの時計職人さんに持って行き診てもらいます。
前回、高校野球と言うシステムが嫌いと書きましたが、なんで未だ皆んな頭が坊主刈りなんですかね。長髪でも茶髪でも良いと思うんですが、その辺りが偽善的ですね。それと県民単位の郷土愛に訴えると言うやり方ももう古いのでは、と思います。高校野球の向こうにプロ野球があり、そのまた向こうに大リーグが聳えてある、でも、アメリカと日本、日本と地方(沖縄と東北)、それら二者間にある不均衡、抑圧関係には余り触れないでおく。沖縄や東北のチームが勝ち上がるとやたらに皆んな応援するのに、基地問題、震災被害には興味が薄い。なんかそんな「片手落ち」の関心状況が私は気になるのです。
長髪にピアスした生徒達が溌剌とプレーをし、解説者も野球中継をしながらもその出身高校の地方の人たちが被っている諸社会問題に軽く触れる、そんなアカ抜けした高校野球なら見てみたいものです。

エジンバラで仕入れた水彩画

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スコットランドのエジンバラで仕入れた水彩画(額のサイズ、48cm x 59cm)です。恐らく20世紀初頭頃の物だと思います。見た瞬間に気に入り、先ずはロンドンへと持って帰りました。ちょっと大きかったので少しだけ迷いましたが。店の片隅に置いてありますので、ご覧になりたい方は仰って下さい。中々に良い絵ですよ、薄塗りですが、少し離れたところから観ると空なんかも良く描けています。
「金沢居たくない病」の進行が激しく、後この街にどれくらい住み続けられるかな、と危ぶんでいる次第です。能登半島に土地を買って十坪位の隠れ家を建てようとか、イギリスに居る期間を何とかしてもっと増やそうとか、夢想しています。かと言って日本の他の街で移住したい所は特にありません。良い街がありましたら誰か教えて下さい。
何故ここがこんなに(僕にとって)ダメなんでしょうね、全体的な雰囲気が硬いんですよ、英語で言うと、rigid な感じです。権力やヒエラルキーの中に安住して自己確認しながら日々過ごしている人たち、後それから祭りらしい祭りは全くありません。その点能登半島は最高ですね、夏には祭りが沢山あります。つまりこの街では「ガス抜き」をする日が一日たりともない訳です。会話が無い、ユーモアが無い、刺激も無い。
今日本全体を閉塞感が覆っています。諦めに似た無力感。こんなに不平等で不公平な世の中なのにそれをどうすることも出来ないし、老人たちは、まあ俺たちが生きている間だけでも持ってくれたらイイや、と言わんばかりの開き直りのジコチュウ振り。若い人たちは、放射能と電磁波とプラスチックゴミにまみれながら今後生きて行く訳ですよ。
僕、「高校野球」と言うシステムが昔から嫌いなんです。高校球児にだけ、フェアプレイをさせて、まあそれが売りなんでしょうが、世の中見渡してもフェアーなものなんか何処にもなくそれこそアンフェアーなもので世の中動いているのに、その全体には目を瞑り、限定された世界にウソのフェアーを演出する。偽善的ですし、後大きいお金が動き過ぎですね。嫌いです、周りでそれを動かしてる人たちが。大人がズルいのに、子供にだけ正しくあることを求めると言うのは子供が可哀想です。
いっそのこと、大人たちは子供に、フェアー(公平)で正直であっても世の中では報われないかもしれないが、それでもそうあり続けることの意味、大切さ重要さを教えるべき語るべきですし、それを語れないようじゃ大人失格かもしれません。
あぁ、こんなことを書いてると止まりません。
ではまた。