変わった絵柄のお皿

Img_ea859528e1ce28fa1f7bbe2f3cb1e124
Img_ceae8ca816a0116b2db9e255bb9b0d78
Img_60ed1d0486398b1d9145a76a5037cb2e
今回のイギリス仕入れで入った物を紹介するのが遅くなりました。申し訳ありません。大きなブルー&ホワイトのお皿です(直径26cm)、オランダ、又はその近郊の物で時代は18世紀です。真ん中の絵柄が変で、何処となくユーモラスだったので買いました。草の上に大きな葉っぱが一枚描かれています。陶磁器を専門とする友人のアンティーク・ディーラーの家に行って仕入れました。家にまで行って来て仕入れをする、というか出来るディーラーは僕にはそう多くはいません。当たり前の話しですが、向こうのほうから、ご招待を受けないと行けませんよね、、僕のほうから、あなたの家にアンティークを見に行きたいんですけど良いですか、、何て言える訳もありませんしね。それで目出たく家にお邪魔を許された場合の話しですが、部屋の隅っこで長い間動かずに埃を被ったままのような物に結構面白い物があったりします。このお皿もどちらかと言えばそんな感じの物でした。無造作に高く積み上げられたお皿を一枚一枚ずらしていくとこの皿が出て来た、そんな感じでした。当の本人も売る気があるような無いような、あぁそんなのあったね、、大分前に仕入れたやつだけど、何て言いながら昔の仕入れノートを出して来て値段を調べ出したりして、その間に僕は指でお皿の表面を撫でて埃の膜を取り除く。
本当はその日は彼の家には前回に見た大きな油絵が忘れられず、それを買いに行ったのですが結局その油絵の支払いは済ませたものの(ロンドンまで)持って帰る物が多きすぎて、また置いて来たのです。その代わりに水彩画を五枚程とこのお皿を大きな布袋に入れてロンドン行きの電車に乗り込みました。
絵心という言葉がありますが、絵心のあるアンティーク・ディーラーってなかなか居ないんですね。グラスだったり、シルバーだったり、その道専門の目利きが出来て知識を備えた方ならそれなりに居るんですが、絵心となると難しいですね。言い換えれば、絵心なんか有っても無くても、それは目利きをすることとは関係のないことで、その辺りが骨董の難しいところですかね。なかなか絵心をくすぐられる贋物なんて物もあると思いますし、、。もっと広く言えば、物の真贋に関係なく、物の持つ適当な雰囲気、ちょっと歪んでて可愛いとか、色の滲みが奇麗だとか、その辺りのことを「売り」にして適当に物をさばいていく骨董屋さんも居たりする訳です、それがたとえ偽物であったとしても。
絵心、と書いて来ましたが、そうそう、ポエジーのことです、ポエジーの有無。これが重要なのです。このお皿の大きな葉っぱと草の絵姿には何処となくポエジーが感じられるのです。ポエジー、大切ですね生活をするうえでも。お金が一杯あってポエジーが無い生活と、お金が無くてポエジーが一杯ある生活。皆さんはどちらを選びますか、、難しいけど僕はやはりお金が無くてポエジー一杯がいいですかね。まあ、その、詩人ではないけれど詩人のように生きたい、ということですかね、、。詩人を自称する輩にはポエジー皆無の場合も多いですよね、、。
お元気で!

デルフトの花器

Img_57be1351055d2df060d54fe25ce0a548
Img_7661541e464ca34992fd6c594be30976
Img_6b4c39c448ab6939e67b24b518c6d933
ちょっと変わったオランダ・デルフトの花器です(L. 17,8 cm× W. 9,4 cm × H. 11,4cm)。19世紀後半頃のものでしょう。写真からお分かりのように壁に掛けることも出来ます。これにチューリップでも活けたのでしょうか。数年前にイギリスで仕入れました。意外とバラなんかもいけそうな気もします。アザミとかはどうでしょう。それともちょっとふざけて一本ずつ別の花を活けるのも面白いかもしれません。鉛筆立てにもなるかもしれません。色鉛筆もいけるかも。箸立てはちょっとシュールですね。歯ブラシはどうかな、、。
明け方に見る夢、一度目が覚めてから二度寝のときに見る夢は(僕の場合)何か予知めいたものに感じられるときが多々あり、夢に出て来た人に電話してみたり、お店であれば久しぶりに出掛けてみたりして、夢の予感に割と素直に従うようにしています。半年程前のこと、暫くご無沙汰だった喫茶店に夢の中で車を運転して行っているのですが、その喫茶店近くの裏路地を曲がり切れずにぶつかりそうになる夢をやはり朝方に見て、何となくその午前中に夢に見た喫茶店に行ってみました。何時もならケーキが沢山並んでいるショーケースががらんと空いていて、おかしいな、と思いながらカウンターの席に着くとその店の方が、実はこれこれしかじかの事情でお店を閉じることになり塩井さんにも連絡しなければと思っておりました、と仰るのです。街の外れの裏路地で長い間営まれていたケーキとコーヒーのお店で、特にそこの娘さんが作るケーキはとても美味しいので有名でした。確かその日はまだケーキが少しだけあってその日に頂いたのが「最後のケーキ」となりました。
その喫茶店のように、金沢で僕が好きだった小さな良いお店がこの一二年で数軒無くなりました。どの店も他の店に置き換えることの出来ない独特の魅力を備えた場所で、常連の方に静かに惜しまれながらこの街から消えていきました。今新幹線ブームで湧くこの金沢の陰でこうやって実はとても金沢らしいお店がなくなっています。「金沢らしさ」をさり気ない形で備え、街の魅力を支えてくれていたお店です。それらは必ずしもガイドブックに載っているわけでもなく、お店の閉店が新聞記事になるわけでもなく、本当に静かに消えていくのですが、こうやって「金沢らしさ」がみんなの知らない間に薄まっていくわけです。きっと今から五年、十年経った頃にその希薄さが顕在化してきて、あれっ何か違うぞ、となるのだと思います。「金沢らしさ」が薄まっている、と言う表現がもし違うなら、「金沢らしさ」が段々と絵に描いたような分かり易いものになっているとも言えるかもしれません。
当たり前のことですが、無くなった場所にはもう二度と行くことは出来ないです。
時代が変わる、というのはこういうことかもしれませんがとても残念です。
去年行った長野の松本は街の雰囲気が新幹線以前の金沢の様で何処か懐かしい感じがしました・・。

珍しいタンブラー

Img_bea24f5ae97a1df8c14fb9f86e1e0b65
Img_917161e290dc84237ce0ea59d9130170
Img_19f3672303325cbab404822751c955d9
このタンブラー(H.9cm×W.6cm)、今年の六月にイギリスで仕入れた物です。友人のディーラーから仕入れたのですが、彼が19世紀後半の物だと言っていたので、それを余り疑いもせず暫くそのままに店に置いていました。19世紀後半のタンブラーでこの位小さい物は殆ど見掛けません。もしやと思い、全く同じカットのワイングラスで1830〜40年頃の物を持っているので、それをショーケースから出してきて横に並べて細かく比較して見ました。カットだけでなく、ガラス生地の質感もよく見ました。答えは、このタンブラー、1830〜40年の物でした。僕の友人はイギリスで30年以上もグラスを触っている専門のディーラーですが、きっと良く見なかったのでしょう。見落としですね。誰にもたまにあることです。と言うことでこのタンブラー、かなり珍しいです。このカットのこの時代の物は今までワイングラスしか見たことなかったので、タンブラーは初めてです。恐らく最初で最後でしょうね。写真のタンブラー、左は水が入ってます。真ん中はウィスキーで、右は何も入っていません。
先日東京のある雑誌の金沢特集でインタヴューを受けることがあり、自分が今の金沢の街をどう考えているかなど、僕個人と金沢の関わりかたについて色々と聞かれました。質問がまたよく考えられていて、普通の雑誌にしては深く切り込んだ質問も幾つかあり、こちらも思わずまじめに考えて答えました。良質の質問は答える側にも何かしら新しい発見をもたらすものです。質問に答えながら、自分が金沢をどう思っているのか少しは再認識させられました。
新幹線が金沢に来て三年目でしょうか。今も街中ではホテルの建設ラッシュで至る所で掘り返したり、むき出しの鉄筋がそびえていたり、忙しい感じです。新幹線が来て良かったのかそうでないのか、その問題は難しいので今日は置いとくことにします。新幹線以前の金沢はのんびり歩ける街でしたが、今はあらゆる空きスペースを観光に活用しようと、せわしないですね。東山周辺でも以前は遊んでいる地面、何の役にも立っていないような場所があって、ゆとりがありましたが、今は隅々まで観光の名の下に「有効活用」しましょう、という雰囲気。街の中を歩くと感じられた金沢らしい雰囲気は徐々に薄らいでいると思います。昔の金沢の名残りは消えてますね。その代わりに取って付けたような「金沢」が分かりやすい形で増殖中です。本当の「らしさ」とは分かり難く言葉にして言い表すのも難しいですね。だから、分かりやすい偽物の「らしさ」が流行ります。僕は今の金沢ブームは萎(しぼ)むのも早いと思います。本物の「らしさ」が減ってある量を下回れば、もう「匂い」のしない街には人は寄り付かなくなる、もしくはその「匂い」を察知することの出来ない鈍感な人だけが来るようになる。
つまらない喩えですが、よく恋愛で男が女の好みに合わせて自分を変え過ぎると逆に飽きられて振られる。金沢もそんなことになるんじゃないかと心配しています。

Coalport(コールポート)のトリオ

Img_09a93327d03844f0e7583c07ca3a2328
Img_ab5b3231d44a2da240fbecc61ca9b175
Img_241ce01d14d679e76acf9a906b74b868
イギリス、コールポートのトリオ、1810〜20年の物です。少し金彩が落ちていますが全体的にはいい状態です。この時代のトリオはソーサーが一つに、カップが二つ。コーヒーのときと紅茶のときで使い分けていたようです。華やかなカップですが、フランスの華やかさとはやはり何処か違いますね。イギリス的です。
僕たちで発行している冊子、「そらあるき」の新しい号がもうすぐ発行で最後の調整中です。後少しで出来上がるのですが、思わぬところで問題が発生して、昨日今日と多少イライラしていました。気を落ち着けるのに近くのコーヒー専門店にコーヒーを飲みに行こうと思いながら、何時も持ち歩いている手提げからブローティガンのエッセー集(Revenge of the lawn)を出して読み始めました。未読のものを探して一つ二つ読みました。彼の文章を読むと「癒される」という表現は使いたくないのですが、何というか、彼のエッセーを読んでいると、あぁ自分はホントつまらないことでイライラしているんだな、と自分の卑小さ俗物的価値観を間接的に見せつけられるようで、何となく楽になります。彼が何か特別なことを言っている訳では全然ないのですが、彼の視点、言葉の紡ぎかたが、自己撞着している自分を解放してくれるのです。とても意外な言葉が互いに繋がれているだけでも、本当にハッとします。彼の言葉は僕を何処かへと連れ出してくれるのです。今の僕にとってこんな作家は彼だけかな、多分。
僕はイギリス英語をミドルクラスの発音で喋るくせに、外国の作家で好きなのはイギリスではなく何時もアメリカなのです。カポーティ、ポール・ボールズ、エリザベス・ハードウィック、ブローティガン、、。だからブローティガンを声に出して読むときも、彼がきっと嫌ったであろうミドルクラスのイギリス英語の発音で、ちょっとスノブ(snob)な感じになる訳です。もし彼が横に居たらとても嫌がられ、侮蔑の表情で僕を眺めたことでしょう、そんな読み方は止めてくれと。でも、僕のほうもちょっとひねくれていて決して上品とは言えないアメリカの作家を敢えてイギリス英語の発音で読むことを何処か楽しんでいる節がある、いや楽しんでいる。悪趣味ですかね、自分は。

指輪 その2

Img_ade37329026b3ddd427d8104a3651c78
Img_04168ea1e9738396a5b790f790a1e6c3
Img_633d47c4232e340fd40747ba79772f8d
前回に続いて指輪です。左から、18金とプラチナにダイヤ、およそ百年くらい前の物。真ん中と右はそんなに古くありません、’60年代頃の物。どちらも地金は9金、所謂ピンクゴールド。真ん中はシェル・カメオ、右はダイヤ。
大分前から物語のようなものを書いています。「ビル」というタイトルで、最初原稿用紙で70枚くらい書いて、出来が悪いな、とその後感じたので、全部書き直したら長くなって、原稿用紙130枚くらいになって、一応完成。近いうちに最後の推敲を行い、それが終わったら、パソコンで清書してコピーして綴じて、原価で売ろうと思っています。何処かの文学関係のところに応募して、何て気持ちはゼロ。それで今は僕が通っていた変わった飲み屋「ガロア」を舞台にして書いております。70枚近く書きましたが全然終わりません。
「ビル」はロンドンで知り合いのアンティーク・ディーラー、Bill をモデルにして書いたのです。ある日ビルのところに女の子がやって来て石 (Blood stone) をビルのもとに置いていく。その石を手にしてから、ビルの生活は暗いほうへと引き摺られていく。商いはさっぱり、昔の女が自分のところに転がり込んで来て、眠り続けて起きない、ビル自身は同じ夢に悩まされ続ける・・。
これ、確か去年の一月に書き始めた記憶があるのですが、商いさっぱりダメなビルを書き始めたら、それが僕にも移ったのか、その一月から三ヶ月、本当に死ぬ程売れなくて、毎夜書きながら、このままこれを書き続けたら僕が先に干上がるんじゃないかと真剣に悩みました。でも、止める訳にはいかない。そのうち、現実の生活が物語に引っ張られていたのが、少しずつ、区切りのつけかたというか、物語を書いた後にその残り香を断ち切る方法を何となく覚えて、四月頃からかな、何とか抜け出せました。いやぁ、でもその三ヶ月の苦しかったこと、毎晩思っていたことは、あぁ明日ももし売れなくてもめげたりせずに普通に元気でいよう、と自分に言い聞かせながら眠っていました。
書くようになって分かったことは、自分の体質がシャーマン体質というか、何かが乗り移るんですね。そんなに自覚はないですけど、どうもそのようです。あと、「言葉」というものに対して随分と考え方、思いが変わりました。言葉。そうですね、中々言い尽くせない不思議なもの。中々恐い生き物ですね。それと、読めない本が本当に増えました。自分にとって書くことがある特別なものになればなるほど、僕にとっては意味の無い、小説や評論等が増えていきます。それに前よりも他人の文章が透けて見える。
そうですね、僕の中のヒーローは、ブローティガン、徳田秋声、そして正岡子規。今のところそんな感じですかね・・。(三人とも全く似てませんが・・)