ローマ時代の彫刻

Img_edc02a91cbbccf04b23f1db632f38218
Img_1078db12915120e8574063006d63e68a
Img_153323de5e4daa8c7274a1a2b068ff0b
ローマ時代の彫刻(H. 12,2cm)、台は今の物で安っぽい素材を使っていますがこれが中々良い。古代の彫刻までもが何処かモダンに見えて来ます。素晴らしい作品です。つくづく美しいですね。
今これを書きながら映画「二人のヴェロニカ」のサウンドトラックを聴いています。もうかれこれ三十年近く前の映画ですね。監督はポーランドのキェシロフスキ、この映画よりも「トリコロール」のシリーズのほうが有名ですが僕はこのシュールで摑みどころのない映画のほうが好きですし、音楽がとても美しい。全く同じ姿をした女性がパリと(確か)ワルシャワに居て全く別の生活を送っていてその二人に接点が産まれるかとそうでもなくただただシュールなんです。映像がとても奇麗で、パリのヴェロニカは学校の音楽の先生をしているのですが、そこに人形芝居をしにやって来た人形遣いの男がそのヴェロニカを誘い出すのに駅の近くにあるカフェの音を録音したテープを送るんですヴェロニカに。それをヴェロニカは何度も聴いてついにそれが何処か突き止めるのですが、その長い時間をその男はひたすらカフェで待ち続けるんです。三十年前です。携帯なんかありませんから、男と女が会うのも大変なんですね。
僕はこの映画、ダブリンで観ました。自分も暗かったしあの頃のダブリンも暗かった。暗いとき苦しいときに観た映画は忘れられないものですね。同じ監督の短編映画に「殺人に関する短い物語 (A Short Story about killing.)」と言うのがあるんですが、打ちのめされるくらい暗くて悲しい映画で、これを一人で観た後に冬の夜のダブリンの暗い通りを何か重たくて大きなものに押しつぶされそうな気分で自転車を押して家路に着いたのを覚えています朧げながらも(そう言えば暗い時期の記憶は結構抜けているものですね)。
僕がアイルランドに行ったのは1989年、当時のアイルランドは失業率も20パーセント近くあり、まだあの頃は離婚も出来ず中絶も許されていませんでした。街中にテレフォン・ボックスが四つ並んでて電話を掛けようと中に入るとその内三つの受話器が取れていてなかったり、二階建てバスに乗って上に上がると座席のシートが取れてひっくり返っていたり、たまたまかも知れませんが、街中は暗くて寒くて希望少なく、夜なんかもパブの前で若い女が崩れ叫ぶように男の胸を叩きながら大声で泣いているのを遠くから見たのは今でも覚えています。暗いけど貧しいけど詩情だけはたくさんあって、、。じゃあ今の日本とどっちがいいのか、それはとても難しい問題で、、。クリスマスの夜に街中で歩道に絵を描いて物乞いしている男の子に小銭をあげたら少な過ぎると逆に怒られて追っかけられたこともありました。どれもこれも想い出です。

天使のカメオ・ブローチ

Img_29439b74ac13096baa145ba304090217
Img_d867ec576afc4331ed60d98a4d2fa6a8
Img_4988299c5f60db1cf8cf120f162ae005
天使のカメオ・ブローチ(4cmx5cm)、19世紀終わり頃の物でフレームは9金です。今回の仕入れで買いました。何となく気に入ってます。
先日『実践する神秘主義』(イヴリン・アンダーヒル 著、新教出版社)という本が読売新聞の書評で紹介されていたので早速街の書店に行って注文したのですが品切れで手に入らないとのことで仕方なくネットで取り寄せました。まだちゃんと読み始めてはいないのですがパラパラと捲り読みをしていると数ヶ所に『不可知の雲』という本についての言及があり、なるほどなるほど、と一人納得していました。というのもこの『不可知の雲』という本は14世紀にイギリスで書かれた物なのですが、作者不詳の霊的世界への手引書というちょっと変わった本で、僕はこの本を偶然にも青山の古書店に行ったときに見つけて買っているのです。この本の存在は知りませんでしたが、タイトルと本の雰囲気に惹かれて買ったのです。イヴリン・アンダーヒルのこの本を捲っていると(哲学者の)ウィリアム・ジェイムスのことも書かれていて僕自身の読書がやっと繋がりつつあるような気もしています。本当はそろそろもっと真面目に書いたり読んだりする時間を作らないといけないな、と最近思い始めています。自分の読書体験を深めていかないと気が付けば60才、70才とただ徒に老いていくばかりになるのでこの辺りで思い切ってそんな時間を作らなければと感じています。それと自分の人生が今までとは少し違った方向にシフト(移行)して来ている感覚、予感のようなものが自分の中にあるんですね。だからその感覚にしっかりと応えていかないといけないと思っています。今は自分はアンティークを仕事にしていますがそれだけに自分を限定してしまうのはイヤなんですね。だからというか読み書きが止められない止まらない。
知識欲とかそんなものでは全くなくて、今まで自分が経験したことのないような感覚域に自分を持ち込みたい、まあそんな感じですかね自分が望んでいるのは。

金彩のミニ・タンブラー

Img_78232fb4b6724123f9b8c4612656256d
Img_a4ce15cbe758f4fd32941cc81f4905de
Img_b0e4a0f4e927878f30e7ea52cb16b0ed
小さな小さなタンブラー(4.8cm,3.4cm)、赤色に金彩。一見してボヘミアンにも見えますがイギリスの物です、19世紀後半。珍しいと言えば珍しいです。
前回このページでエズラ・パウンドの『詩学入門』を自分がやっと読めるようになったのは自分が文章を書くようになったから、と書きましたが、そう書いた夜にこの本をまたもや捲っている時に思い直したので訂正します。理由はどうもそれだけではなさそうで、今まで色んなものを読み続けて来て、それが自分の中で(いい加減ではありますが)有機的繋がりを持ち始めたこと、それとこの歳に至るまでの自分の人生経験(まあ知れてますがね)、その二つがこの極めてユニークな文学入門書を咀嚼するのに役立っているようです。つまり僕のような平凡な頭の者にはそれだけの回り道が必要だった訳です一冊の本を楽しめるようになるのに。
この本から引用したい箇所は沢山あるのですが、何せ翻訳がが古いので分かり辛い。僕も時々原書と翻訳を比べてみると誤訳とまでは言わないにしろ日本語の訳では原文の意味するところが十分に伝わっていない文が多々あったりしますし、とにかく訳し難い英語ではあります。文章の流れの中で読まないと分かり難いので、一部だけ取り出すのはよくないとは思いますが、ここにごく短い文を載せてみましょう。
「俗受けする文章のこつは、一般の読者が日常のだらけた注意力をまるっきり引き締めなくても舐めていける程度にしか、一ページに詰めこまないことである」(エズラ・パウンド『詩学入門』(P.84)より、沢崎順之助 訳)
では皆さん、お元気で。暑いですね毎日。お陰で日々ヒマです。

ローマ時代のネックレス

Img_0a2af5561c21342c021b2a41d4665d04
Img_9af0a8cb88c704f1c2c880cbd80d22d8
Img_9d19f4ca963f27dbc17a27430fd9a05a
ローマ時代のネックレスです。石はカーネリアンとアゲート(メノウ)、一世紀頃のもので、1920〜30年にアイルランドの貴族が所有していたらしいです。僕自身もこのような古代物に強く惹かれます、そうですね、古代物特有の物としての力強さに惹かれます。掌に包み込んで握りしめた時に伝わって来る強さが魅力です。古代物は本当に自分が惚れた物しか買わないと決めているので、売れても売れなくてもどちらでもいいのですが、やはり売れたほうが嬉しいかな。でも自分から離れていくのが少し淋しいかもしれませんね。
先日自宅で机についてアメリカの詩人、エズラ・パウンドの『詩学入門』をパラパラと適当に開いては読んでいました。多分三十年くらい前に買った本で余程気に入っていたのでしょうか原書(ABC of Reading)も持っていて、原書と翻訳を揃えて本棚に入れておいたのです。多分買ったのは20代の頃でそれから今までの間に何度開いて読もうとしたか分かりませんが何時読んでも今一つピンと来ず楽しめず、そんなことを多分数年に一度くらいの頻度で繰り返していたはず。先日この本を開いた時も恐らく数年振りのことだったと思うのですが、文章が染みるように自分の中に入り込み初めて楽しく読むことが出来たのです。とても示唆に富む本ですがあらゆる点で型破りの入門書で、一般的な文学入門書には程遠く反テキスト的テキストとでも言えばいいのでしょうか、この本をテキストに使って文学の授業を試みようとするならとても刺激的な授業になる代わりに凡庸な教師と学生には堪え難いものになるでしょう。何故自分は今ごろになってやっとこの本が楽しく読めたのか。理由は明白で、自分が文章を書き始めた数年前くらいから「読む・書く」という行為に対する自分なりの理解が深まったからだと思います。
ちなみにこの本、1979年に富山房から出版されているのですが今は絶版で、検索するとアマゾンで四千円以上の高値で古本が出ていました。こんな素晴らしい本が絶版とはいけません。こんな本は売れなくても再販されてもっとみんなが読めるように世に出回るべきだと強く強く思います。それが文化だと思います。エズラ・パウンドは詩人ですが生来の教育者でもあり学校を作ろうと試みていたらしいです。
世の中には沢山のお金を持った人がいるわけですが、そんな人とユニークで先見の明があり私心のない人が組んで面白い学校の一つ二つでも出来ればいいと思いますし、今の世の中に本当に必要とされているのは世の中からはみ出て落後しているように見える若者がもっと自由に学べる場だと思いますが、、。

白蝶貝のメモ帳

Img_c52633a79e07d082d82997362b5c270d
Img_e247773fce9ba0497ce8bd353420e23f
Img_e89ca07d9f70cf8ebca9620711cdc7ec
イギリスでアンティークを仕入れている時に売り易い物ではないけれど、その美しさと珍しさに惹かれてどうしても買わずにはいられない物がたまにあります。この白蝶貝のメモ帳が正にそれでした(H. 9,7cm W.6,8cm T. 1,8cm)。フランスの物で時代は1860〜80年だと思います。右側に差し込んであるペンを抜くと開けられるようになっています。白蝶貝の浮き彫りがとても深くて奇麗です。スペイン人のコレクターが集めていた物を譲ってもらいました。かなり裕福なご婦人が使っていたのでしょうね。ここまで来るとショーケースに入れて眺めているだけで十分に美しいです。僕も今までにこれに似たような物は見たことがありません。かなり珍しい物ですね。
イギリスに比べると少ないですが、日本の地方の街を旅することがたまにあります。始めての街に降り立ちそこの駅で簡単な地図を貰い、歩きながらそれに自分が訪れたところの情報などを書き込んでいく。僕が必ず行くのは喫茶店と古本屋、そしてバー。昔四国の松山に行った時もいいバーが中々見つからず、どうせ検索したところでロクなところは上位には出て来ないので、繁華街を片っ端から歩いていい「臭い」のするバーを見つけたのを覚えています。趣味性の高い店ほど検索で見つけるのは難しいですし、大人が行く店ほどお客さんはネットに書き込んだりしませんから、いい店ほど意外と情報がなかったりします。金沢にある知る人ぞ知る高級バーも、あるときネットで「金沢のバーランキング」なるものを見つけたのですがその高級バーは名前すら載ってませんでした。それと楽しいのは地元の新聞を買って読むこと、当たり前ですが地方の新聞にはそこの地域性や特徴がよく現れていて楽しいです。前も長野に行って新聞をコンビニで買うと店員さんがレジで『シンマイですね、、』と言うので、えっ新米?と一瞬驚きながらも、その呼び名が信濃毎日新聞の短縮であると気付くのに一秒。そっか、シンマイなんだここでは。ちょっとした発見。それから、美容室のウィンドーを覗いてカットの代金がいくらか見たり、不動産屋でワンルームマンションの賃貸の値段などを眺めては色々と想像するのも楽しいです。
まあ要するにその地方の日常、普通の生活が覗ける場所を訪れるのが楽しいんです。何十年もやっている喫茶店に入り常連のお客さんの何気ない噂話などを聞いてないふりしてメモしたり。少し前にも訪れた街で古い喫茶店に入ると70くらいの写真館の経営者のオヤジさんと60くらいの教授が話していて、最初は街の歯医者は何処がいいかを話していたのが、歯は抜くのがいいか抜かないのがいいか、に話題が移り、70オヤジが、どうせさ色々やったてさ最後は抜くんだからそれだったらいっそ最初からパッと抜いたほうがすっきりするよ、と言いながら今度はある歯科医の子供の話しになり、70オヤジが、あそこはさ息子も娘も別々に歯医者やってっけどさ、両方とも独身でさ、息子は二回結婚して二回別れて独身だからさ、、なんて言ってるのをソッポ向いてパイプ吸いながらしっかり漏らさず聞いてる自分。それからそのオヤジさんが如何にヌードを撮るのが難しいか、を話し始め、シノヤマキシンなんかはさ、あれは素人に毛が生えたくらいのもんだけどなんせモデルがいいからよ、オレが昔撮ったようなモデルとは全然違うからな、技術じゃなくてモデルなんだ、結局、なんて話している。
このオジさん他にも色々な有名カメラマンを俎上に載せてはこき下ろしていた(でも、土門拳は褒めていた)ので、よっぽど割って入って、最近アラーキーも逆風吹いてて大変ですよね、なんて僕が言ったらオヤジが君は誰が好きなのなんて訊いて来て、そうですね、、Don McCullen もいいですし、Mary Ellen Mark なんかも好きですよ、、なんて言っている自分を空想しながらもやはり無言のままそこを退散したのでした。