18世紀イギリスのグラス

Img_9c62adaad0746662dce4585a3c51439d
Img_960dff527fc13fdb9f554a9d8c79388d
Img_915327a97baa766d613cdd2fe9d9c40b
イギリス18世紀のグラスです。左の写真の左端のグラスは19世紀、右の写真のボトルの隣りはローマ時代ですが、残りは全部1750年〜1800年の物です。ぼくが一番好きな時代のグラスです。まだフランスのバカラのグラスが高級グラスとしての地位を築く前ですね。産業革命で栄え始めたイギリスとしては自前で高級のグラスや磁器を作ることがイタリアやフランスに肩を並べる国になる、そんな気概も当時はあったのではないかと思います。昔の日本が中国や朝鮮の陶磁器をせっせとコピーして作っていたのにも少し通じるところがあるでしょうか。日本とイギリスは大陸の果てにある島国という地理的条件からどこかしら似たところがありますね。自分たちは他と違っていてどこか特別、と思い込んでいるところなども似ています。
先日ピーター・バラカンさんのラジオで The Specials と言うイギリスのバンドが21年ぶりに出したアルバム Encore が紹介されていて早速CDを購入。ジャマイカン とパンクを合わせたような音楽で、かなり政治色の強い曲もありますが、兎に角クールでカッコいいんです。英会話の授業でもテキストとして使いました(生徒約1名募集中)。40年程活動しているバンドらしいですが全く知りませんでした。それから昨日近くの古本屋で展覧会の図録を買いパラパラと捲っていたら、蜘蛛や蛙や鰻(?)などを描いた不思議な絵が何枚か載っていて画家の名前はと見ると、小茂田青樹(おもだせいじゅ)とあります。大正期から昭和に掛けて活動していた画家らしいです、寡聞にして知りませんでした。
知らないものを発見するのは刺激でもあり楽しいものです。でもそれは、ネットを介してではなく、こんなふうに生のラジオだったりたまたま古本屋の棚の脇に並んでいた図録だったりするから、それは刺激たり得る訳で、ネットのお節介なオススメのように自分の消費行動に他人が介入してくるときの腹立たしさは感じなくて済む訳です。そう言えば最近ネットニュースを見るのも一切止めました。理由ですか、簡単明白。頭に残らないので読んだ後虚しいから、それと、眼が疲れる。記憶に残らない単なる刹那的な刺激でしかない情報は取り込まなくていいかな、と思ったのです。SNSでヒマつぶしをするオッさんたちの空虚さを思うと、ネットってホントに何なのかな、、、と思ってしまいます。「使う」のは良いが「使われ」てはいけない、と言うことですかね。
今日はたまたまお昼時に地元のAMラジオに生出演(10分のみ)して、そのハイテンションに付いていくのにエネルギーを使い果たしました。ラジオはFMが好きです。次回はFMに出たいです、誰か出しってやって下さい。

ラジオ、サングラス、シャルドネ。

Img_f3ccba1b0ea56eeb83e0879f7936a9eb
Img_2730b1296f757b01f867d2bea256d0d2
Img_454caf1dba7db23784dc7268e5a94041
最近ラジオをよく聴きます。少し前に秋葉原で小型短波ラジオを買いました、夜中に短波ラジオを付けると韓国語、中国語の放送が聞こえてきますし、中国の日本語放送もあり、北京のB級グルメ特集などもあり中々面白いです。でも僕の一番の楽しみはNHK FMの土曜の朝、ピーター・バラカンさんの番組をテープに録音しながら聴くこと。色んなジャンルの音楽が流れますし、何と言っても楽しいのは彼の話し、トークです。リスナーからのメールやハガキの内容も聞いていて楽しく、リスナー間に不思議な一体感をもたらしてくれ、世の中捨てたものではないな、と思えます。ピーターさんのトークの魅力はメッセージが明確なこと、音楽の好き嫌いもわりとはっきりと仰しゃるあたりが好感が持てます。この番組をテープに録ったのを後から聴くのも楽しいんですね。
最近サングラスを買いました、Eyevol というメーカーの物を。何処に行っても最近は眩しい、明る過ぎなんです。コンビニ、ドラッグストアー、イオン系ショッピングモールなどに行くときはサングラスを掛けると丁度いいのです明るさが。それからパソコンを見るときも掛けます。今の世の中何処もかしこも明るさを強要されてるようで嫌なんですとても。これをかけて街を歩いてたら誰か分かりにくいかな、と密かに期待してたのですが意外と遠くからでも、塩井さーん、と声を掛けられます。残念。バレてるみたいです。でもコンビニでお金を払うときはメガネを上に上げ外します。最低限の礼儀ですね。晴れた日でもこれを掛けてると自分の心のトーンと外界の明るさが同じ感じで不思議と落ち着くんです。それと、明るすぎるのって絶対心臓に悪いと思うんですけどね、谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」の日本は何処に消えていったのでしょうか。
最近家で安物のシャルドネばかり飲んでます。これについてはまた後日書きます。
お元気で。

ブローチ色々

Img_e1816c6976876755f4130de8987a999f
Img_ebaeaeeec555a171e59b3cc6060e5ea6
Img_685a76d21dfad2298f44ab0327bfc97b
19世紀末から1900年頃のイギリスのブローチ色々、イタリアのモザイクブローチが一個混ざっています。全体的にちょっと変わったデザインのが多いです。
数日前に金沢市内でお店をしていた友人が亡くなりました、急に。50歳の女性、僕は昔から仲が良くて、昨日の朝知ったのですが、昨日は泣きました悲しくて。人気のお店を営み皆んなにも愛されていたかっこ良くて華のある女性でした。ほんとは一月に何人かで飲む約束をしていたら急に彼女の具合が悪くなりその日は来れず、彼女のお店で何気なく立ち話をしたのが最後でした今思えば。まさか最後になるなんて夢にも思いませんから普通に軽口叩くようにして別れたんですよねそのときは。
でも、思うんですよ。50で亡くなるのは早いですが、彼女みたいに皆んなに愛されたままさっと姿を消すように死ぬのも幸せだったのかな、と。長生きだけが幸せじゃないですから。
昨日の夜自分の部屋でソファに座っているときにその彼女がほんの短い間でしたが「来てくれた」感じでした。意外と幸せそうな雰囲気で、笑ってこっちを見てるような。僕は彼女の名前を何度も繰り返し呼んで右手を虚空に向けて振る、とスッと消えていった感じでしたね。だから今日は昨日ほどは悲しくないです。
人生色々です。

ローマのモザイクブローチ

Img_abe8b8ca10adb71c87686f2d70987942
Img_a2c9c0f445ae57eefb040b1568ae1c0e
Img_cfb7ff7d7f200a8cbb88c382c9b50b80
イタリア、ローマのモザイクブローチです、1920年頃。去年の秋に仕入れた物で、何時も行くアンティークの市に行ったら、モザイクブローチを沢山持っている女性がいて、イギリス人でしたが今はスペインに住んでいてたまたま帰省中で市に出店していました。最近はモザイクブローチの可愛いのを見つけるのが割と大変なのでラッキーでした。僕はイギリスに二十年以上仕入れで通っていて九月に行くのは初めてだったので、僕の渡英のタイミングと彼女の帰国のタイミングが偶然にも一致してこのブローチを仕入れられた訳です。本当に出会いとはタイミングのことですね、タイミングがずれれば出会いませんし、それを逃したことすらも分からない訳で、人でも物でもタイミング次第で何かを必ず逃しながら毎日生きているんですね。
僕は最近思うことの一つにこう言うのがあります。強い思いは「もの」を引き寄せる、何かを求めて長い時間を思い悩んだりしてあれこれと模索しながら探していると、その思いが蓄積して力となりその磁力が自分が恐らく探していたであろうあるものを無意識に引き寄せてくれる。そんなことが人生には本当にたまにあるんだなと最近思いました。今は話せませんが、そんなことが少し前に自分にあって、思い悩む時間と言うのも大切なんだなと思ったのです。手探りで模索する時間の大切さを実感したこの二月でした。

1802年製のミニスプーン(その2)

Img_f9ab94400500f4dd35b6188ee86ca05c
Img_054a5b75552fadff2678f19ba5b01ffb
Img_680dff3a812329ab68eb09ab0026d63d
前回の続きです。このスプーンの用途が今一つはっきりしないのは、もしこれがソルト・スプーン(塩用)ならば先の部分がもっと丸い形をしていますし、もっと後の時代のスプーンでこれよりも大きいものだとグレープフルーツを食べるための物が先が尖っていたりするのですが、それでもない。と言うことでよく分からないのですこのスプーンの用途は。(右の写真の大きなスプーンがこの時代のティー・スプーンです。比較のために並べました)
前回紹介した藤本和子さんの本『塩を食う女たち』の最初のほうにこんな文があります。とても良いので書き抜いてみます。「苦難の中に人間らしさを失わずに行きのびるには、持続する意思がなければならない」(『生きのびることの意味』より抜粋)。
何でもそうですが、意思、強い気持ちを持ち続けるのは難しいですね。ある日は気持ちがあっても何日かするとその気持ちは薄れていき何となく流されるように日々過ごしてしまう。強い気持ちを持続させるのは大変なことです。僕思うんですが、最近みんなスマホを弄りっぱなしと言う人を沢山見掛けますがあれはある種の逃避、現実逃避ですね。人生、現実から逃げてるんだと思います。彼らも目の前の人生が面白くないと薄々思っていてそこから逃避してるんだと思います。
話しは変わるように聞こえるかもしれませんが、眼力(めじから)と言う言葉がありますね。眼力のある人、とかよくそんな使い方をしますが、最近そんな人を見掛けなくなりました。街を行く人みんなが眼力がない人ばかりで、眼が合った瞬間ドキッとする人なんて余り見ません。街を歩いていても「いい顔」の人を余り見掛けなくなりましたね、何をする訳でもないけど、ちょっと振り返りたくなるような顔、そんな顔が少ないです。残念です。
顔と言えば、ロンドンの本屋で見たペンギン・ブックスのトルストイの本の表紙を飾っていた晩年のトルストイの顔が素晴らしかったです。