ミントンのデミタス・カップ

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イギリスから帰国して一週間が経ちました、時差ボケと疲労からの回復は何時もキツいものです。イギリスで四週間動き回るとペース配分を考えてやっていてもどうしても最後のほうは体に無理が来ているようです。もっと短くコンパクトな仕入れも十分に可能ですが、イヤなんですよね。こうやって色んなところに足を運んで沢山たくさんのものを見て、最後のほうは吐きそうに感じるくらいにアンティークを見ることになるので、もう当分はいいや見なくても、と思ってしまうほどにたくさん見る。でも思うにこの見る量の大きさが日本に帰ってお客さんに説明したりするときの自信になってもいるようです。死ぬほどたくさん見ることで僕の脳裏に朧げに蓄積されていくイメージのようなものが変化成長するんです。だからこれを止めてはいけないんですね、一つのものを買うためには沢山見る。目指せ非効率、ですね。
写真は1900~10年頃のミントンのデミタスカップ、どれも奇麗です。グラスと一緒で陶磁器も今のイギリスでは個人的な関係を築きながら仕入れていかないと良いものは手に入りませんね。
あ、そうそう、沢山見ながらイギリス全土をウロウロしているとアンティークの世界での変化が少しですが見えて来るんですね。それが今後の自分のものの探しかたの参考にもなる。こう動けばいいかも、とか、ちょっとした会話、目にしたものなどが自分の心の中で引っかかるときがあり、それでまた考えていくんです。何処の世界もそうでしょうが、群れをなさずに独特な動きをしている人がアンティークの世界にもいて幸運にもそう言う人に会うと色々とヒントを貰えますし仕入れの助けにもなるのです。僕の仕入れが長いのはそうやってアウトサイダーに近い人を探していると言う側面もあるのかも知れません。
荷物が大体届いたので今から荷解きしてグチャグチャの店内に新入荷のものを並べないといけません。もう並べるスペースなんて何処にもないんですけどね。

珍しいカットグラス(その2)

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前回紹介したカットグラスの写真をもう三枚。右の写真のようにお酒を入れてないときのこの時代のグラス特有の輝きを撮りたいと思いシャッターを切りましたが、どうでしょう。少しはその感じがお分かり頂けますかね。なんかこう、どろっとした硬質感、そんな感じをカメラに収めたかったのですが。
最近夜中の三時頃に起きて朝まで机に付いて読んだり書いたり寝たりしています。実のところ寝ている時間が一番長いかもしれません。それならいっそ布団で寝ればいいじゃない、と言われるでしょうが、机に付いたままあれこれ考えている内に寝てしまい、また起きて読んだり書いたりの取り留めもない連続が楽しいのです。手近にある本を適当に手に取り読む、眠くなる、ノートに何か書き付ける、眠い、そして寝てしまい夢を見る、起きてやっと頭が冴えて来る。この頃にはもう明け方で、やっと今書いている物語を少し書いてみる。とは言え、書いた字数はせいぜい四百字くらいのもの。この、読む、考える、寝る(夢を見る)、書く、を繰り返しているうちに自分の頭の中が何でしょうね、カクテルみたいに感じるときがあるんですよ。この渾然とした意識を味わうとでも言うのでしょうか、クンデラの小説の後にプルーストに関する評論をちょい読みしたかと思えば、近世イギリスの移民政策(昔は沢山の貧民や罪人が厄介払いのようにアメリカやオーストラリアに強制移民させられた)の本もこれまたちょい読み、やっと今度は自分の物語の世界に没入する、または物語のためのノートをしこしことノートの端に小さな字で書き付ける。そんなことをダラダラとやっていると、それら異質の作業が互いに溶け合うと言うか、いやまあ、ぐちゃぐちゃになるんですよ。読む、と、書く、と言うのがありますが、今の僕にとってはこの二つは限りなく近い行為で、特に読む行為は読みながらも何処かで同時に書いている自分が居る、そんな感じの読書です。だから読むと書くは連続した一つの行為に近い。よって読めない本も増えて来る(現代の小説は殆どアウト、読めません)。つまり、書いているときの自分の意識と余りにも乖離した意識レベルを強いられる読み物は耐えられない(特に小説は耐えられない)。まあそんな感じで自分の脳内カクテルの味わいを半分寝ながらほぼ毎夜楽しんでいる訳です。
今日の文章はそんな僕の戯言でした。まあ次回はもっとちゃんとしたことを書く予定!です。

珍しいカットグラス(その1)

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イギリス1830〜40年のカットグラスです(9,4cmx6,0cm)。とても珍しいものですが、何処が珍しいかと言うと、ガラスの表面全体にカットが施されていて、カットされていないのはフット(足)の上面くらいだけなのです。それと、真四角のフットの裏面に格子模様の深いカットがされていて、これはとても珍しい。ガラスを軽く指で弾くと金属音がしますので、鉛の含有率が高いのですが、ガラスの生地色が真っ白なので古い証拠です。ぱっと見ると19世紀後半にも見えますが、よく観察するとヴィクトリア時代最初期のものです。全体にカットがされたグラスでもヴィクトリア時代初期のものは後半のものに比べると見ててうるさく感じないから不思議です。
この店を始めたのが1998年6月、僕はまだ36歳でした。右も左も分からずビギナーズ・ラックで最初の数年を乗り越え、仕入れも「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」かも、と言う感じでイギリスを闇雲に何処でもうろついている内に朧げに全体の地図が出来て来て、と言う感じでとても非効率的なやりかたでやって来ました。まああの頃は体力もありましたし、昔ながらのアンティークの世界が消えようとし始めていた頃、僕はプロのハシクレとして足を踏み入れた訳です。
それから20年、速いものですね。アンティークを取り囲む環境も大きく変化して、お店に行ってそこの店主と色々話しながら古い物を一つ二つ買って帰る、と言う行為自体が正にもう「アンティーク」となりつつあるという昨今。趣味の店舗での物販に長年携わる方なら誰でもが、物を人の手から手へと売ることのその意味について改めて自問する日々ではないでしょうか、、。
僕自身も今よりももっとゆっくりと古い物を見ながら寛いで頂ける空間を作ろうかと思うこの頃です。今のところ金沢を出るつもりはありませんが、金沢の街中で今よりももっとゆったりとした環境で店作りをしていくのもいいかなと思います。金沢に関しては、どうしてもここ金沢で、と言う気持ちはないですが、東京、京都、大阪、名古屋などから来るときの便利さを考えると今の金沢はかなり「オイシイ場所」に位置している訳で、まあこれからもここに居るつもりです(多分)。少し前に枝垂れ桜の鉢植えを何時も行く花屋さんで買いました、結構大きな奴を。この桜の鉢が似合う場所に次は移転出来たら良いなと思っています。お店も続けていく以上は自分も楽しんだりワクワクしたいし惰性でやるのはつまらないですね。僕も次のステップのワクワクに向けて動いて行きたいと思います。そう言った意味では今までの過去を一度リセットして初心に還ろうと思っています。
まあ凄く簡単に言えば、もっともっと面白い店にしたいです。前のフェルメール、そう言えばつまらなかったよねぇ、と言われるくらいの店にしたいな、と思っています。

ブローチ色々

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イギリスのブローチを三点、全てシルバー製です。両端は百年前の物で、真ん中は元々は1800年頃のバックルだったのをその後ブローチに作り変えたというちょっと変わった物です。左は団扇の形をしていて彫り模様も和風で、まさにジャポニズムです。右の物は馬蹄のモチーフに鳥が飛んでいますので、縁起物ですね。珍しさで言うと三点ともどれもかなり珍しいですが、売れるかと言うと、右の物はモチーフが分かり易いので(鳥のブローチは人気がある)まだ良いのですが、左と真ん中のような個性的な物は売るのが本当に難しいですね。真ん中の物なんかは本当にカッコいいと思いますが、普通の人には人気がないですね。大きさは左から、5,6x3,0cm、2,3x2,3cm、3,1x1,8cm です。
先日友人と別所温泉に行って来ました。その帰りにレンタカーを借りて長野市まで足を伸ばしました。松本は行ったことがありましたが、長野市は始めてで、ご常連の方から時々聞いていた善光寺近くの二階にあるギャラリー、姉妹お二人でされているところが前から気になっていたので訪ねました。とても素敵な女性が営むシックなお店でした。そこで近くの美味しいお蕎麦屋さんを教えて頂き、昼食を取った後、近くのアーケードを徘徊していると古本屋があり、横広の店頭に本やCDなどが雑然と並んでいて、早速物色開始。CDをジャンル分けして置いているようなそうでないような曖昧な感じで、古本屋の店主と言うよりは野菜を一山百円で売ってるほうがピッタリくる感じの60代の店主に、「CDはどういうジャンルで分けて置いてあるんですか・・」と訊くと、「あぁ、ただ置いてあるだけですね・・」と言う素晴らしいお答えが返って来て、こちらは買う気倍増! ECMのレーベルのジャズとクラシックのCDを三枚と岩波文庫を一冊買いました。そのうちの一つが『スティルネス STILLNESS』と言うアルバムで、アルヴォ・ペルト、トーマス・タリス、バッハ、ヒンデミットなどの中世からバロック、現代音楽までを集めた素晴らしいアルバムでした。’89年に出されたものですから随分とまえですね、付録の冊子をめくると最初にこう書かれてありました。
You wish to see; Listen.
Hearing is a step toward Vision.
12世紀のセント・ベルナルド・デ・クレアヴァーと言う聖人の言葉らしいです。
恐らく原文はラテン語(又は中世のフランス語)だと思うのですが、冊子に書かれてある和訳が良くないのでここでは書きません。最初の行は、自分で見る(分かる)ことを望むなら、耳を傾けなさい、くらいの意味で、二行目は恐らく、聴くことはヴィジョンへの道なのである、くらいの意味でしょうが、この大文字の 'Vision' が問題で、多分、啓示的な現れ、もしくは聴覚を超えた深いところに現れる示唆的な幻影のようなものを指すと思うのですが。ここにある 'see' と 'Vision' は共に、単に眼を通して見て理解することを超えたある深い領域を指していると思います。
まあ、解釈は何れにせよ、シックなギャラリー、美味しい蕎麦屋、この深い言葉、と当たりの一日でした。

ブローチ色々

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