古いマグカップ?

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イギリス19世紀初頭の磁器のカップ、この形の物は恐らく最初からソーサー(受け皿)がありません。マグカップと書きましたが、真ん中の物でも縦横共に7cmもありませんのでかなり小振りです。この時代の筒形のカップが好きなのでそんなに売れないけれど何時もイギリスで見つけると買い足しております。これも今回仕入れた物です、現在お店が仕入れた物に溢れて混沌状態なので、ホームページに掲載された物がご来店時に見当たらない場合はお尋ね下さい。売れている場合もありますが大体何処かに隠れていたりするので。
最近本を買うときの判断基準の一つが自分の部屋に置きたいかどうか、と言うこと。僕が所有している本の大半は店の二階に有り、そのうち今の自分にとって大切と思える物だけを選んで800〜900冊程度の本と画集を自分の部屋の本棚に並べています。自分が物を考えたりする上で大切な本、自分にとって大切な作家、研究者の本(大体物故者が多い)、何時か読もうと思いながらまだ読めずにいる名作、大作だけを選んで本棚に収めています。本は読むために買うと言うより、それを手元においていて何時でも好きな時に手に取れる為に買っている、まあつまり読む可能性に備えて手元に置いておく。でも要らない本、有っても無くても良いようなその程度の本は一冊でも増やしたくない。夜中に本棚の中から一冊を選び机に着いて少し読む、また別の本を取り出して読んだり眺めたり、それらはどれも命を削るようにして書かれた重たい本ばかり。そのうち暗い部屋の中でこれらの本全体から発せられていると感じる威圧感に自分は少し恍惚とすると同時に、自分にはこんな素晴らしいものは到底書けないと思う安心感のようなものを感じる。数日前も夜中に昔買った『グレン・グールド発言集』(みすず書房)を書棚から取り出して適当にページを開き読む。彼が何故コンサートでピアノを弾くことを止めたかが書いてあり、彼は聴衆と言うものが嫌いだったらしい。その逆のタイプの演奏家としてルビンシュタインが挙げられていて納得する。
先日も少し迷った後に『テクニウム』(みすず書房)という本を買い、これがこの本棚に仲間入りした最近の本だ、テクノロジーに関する本なのだが、その中に「アーミッシュのハッカー」と言うタイトルの章がありそのタイトルに自分はとても惹かれたのだ。「アーミッシュ」と「ハッカー」が結びついているなんてそれだけでもう十分な刺激です。
「みすず書房」はとても良い本を沢山出していて僕も結構買ってはいるのだが、お値段のほうがもう少し安くなってくれると嬉しいのですがね。ちょっとした本でも高級フレンチのランチぐらいのお値段しますからね。まあランチは食べれば胃袋に消える訳でそれよりは有効なお金の使い方かもしれませんが、、。

Blue & Whiteのお皿

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今回仕入れたBlue & White のお皿(D.24,5cm)、イギリスの物で1810〜30年頃の物。お皿全体が深いブルーでとても奇麗です。今までにこの種のお皿は沢山見ましたがこれだけ白の余白がなく全体が青いのは少ないですし青の色がとても奇麗です。友人の家に行って仕入れて来ました。実は同じ物を6枚仕入れたのですが重くて(彼の家では他にも絵画を仕入れたので荷物が凄かったのです、電車に乗ってロンドンに戻るのが大変)、2枚だけ持って帰りました。個人的にもこのBlue & White はとても気に入っています。
今回は陶磁器の良いのが割と多いです、まあ売れるかどうかは別として個人的に気に入っている物がちょこちょことあります。それにしても陶磁器のパッキングの面倒くさいこと、仕事とは言えやめたくなります。陶磁器やグラスを持ってイギリスの田舎をうろうろ、電車やタクシー、ときにはバスも乗り継いで重い袋を抱えて歩くわけです。この写真のお皿は友人の家で買い付け、そこから車で駅まで送ってもらいロンドンまで電車に揺られて一時間強、それから地下鉄に乗り換えて、と言う次第。でもわざわざ友人の家まで行ったお陰で素敵なお皿が手に入りました。
イギリスでは本当によく電車に乗ります。ロンドンから東西南北全ての方向に向けて移動しますからその度に電車の世話になるわけです。ロンドンの地下鉄は毎日ですが、電車でも地下鉄でも感心するのは僕がホームや通路を移動している時にスカーフか何かの持ち物を落としたりするとすぐ誰かが後ろから声を掛けてくれたりサッと拾ってくれたりして、多くの人が行き交う中でもみんな周りの人をよく気に掛けてくれること。特にロンドンは変な格好していたりとても変な物を抱えたりしていても先ず奇異の眼で見られると言うことは無い、つまり皆さん無関心を装ってくれる。その一方で重い荷物を持っていたり乗り降りに困っていたりすると何処からとも無くサッとびっくりするほどの速さで手が延びて来る。普段は無関心を装ってくれながらもみんな実はしっかりと周りを見ていて必要とあらばサッと、そしてさり気ない助けの手が延びる。僕の友人はこれを、偉大なる無関心、と呼んでいますが僕も同感ですしそれがロンドンの魅力です。先日も友人がロンドンの地下鉄でエスカレーターに乗っていた時に、男性の老人がエスカレーターに乗ろうとした時に持っていたスーツケースが引っ掛かりよろめいて倒れそうになったのをその側を駆け上がりながら追い越そうとしていた若い黒人男性がサッと片手を延ばして老人の体を支え直して助けた、そんな光景を目にしたそうです。だからロンドンの地下鉄は不思議と殺伐とはしておらず何処かヒューマンなのです。知らない人の手に助けられるって本当に嬉しいものですし、それでこっちが Thanks と軽く礼を言うと向こうもちゃんと何かの合図や言葉を返してくれる。心暖まりますよ、一瞬ですがね。不特定多数の人間の一時的な集まりの中にさり気ない接点があるのと無いのではこちらの気分も変わって来るんです、当たり前ですが。マスクにスマホの人が無関心を決め込んで並んでいる昨今の日本の地下鉄はやはりそう言った意味では異常だと思います。

ミントンのデミタス・カップ

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イギリスから帰国して一週間が経ちました、時差ボケと疲労からの回復は何時もキツいものです。イギリスで四週間動き回るとペース配分を考えてやっていてもどうしても最後のほうは体に無理が来ているようです。もっと短くコンパクトな仕入れも十分に可能ですが、イヤなんですよね。こうやって色んなところに足を運んで沢山たくさんのものを見て、最後のほうは吐きそうに感じるくらいにアンティークを見ることになるので、もう当分はいいや見なくても、と思ってしまうほどにたくさん見る。でも思うにこの見る量の大きさが日本に帰ってお客さんに説明したりするときの自信になってもいるようです。死ぬほどたくさん見ることで僕の脳裏に朧げに蓄積されていくイメージのようなものが変化成長するんです。だからこれを止めてはいけないんですね、一つのものを買うためには沢山見る。目指せ非効率、ですね。
写真は1900~10年頃のミントンのデミタスカップ、どれも奇麗です。グラスと一緒で陶磁器も今のイギリスでは個人的な関係を築きながら仕入れていかないと良いものは手に入りませんね。
あ、そうそう、沢山見ながらイギリス全土をウロウロしているとアンティークの世界での変化が少しですが見えて来るんですね。それが今後の自分のものの探しかたの参考にもなる。こう動けばいいかも、とか、ちょっとした会話、目にしたものなどが自分の心の中で引っかかるときがあり、それでまた考えていくんです。何処の世界もそうでしょうが、群れをなさずに独特な動きをしている人がアンティークの世界にもいて幸運にもそう言う人に会うと色々とヒントを貰えますし仕入れの助けにもなるのです。僕の仕入れが長いのはそうやってアウトサイダーに近い人を探していると言う側面もあるのかも知れません。
荷物が大体届いたので今から荷解きしてグチャグチャの店内に新入荷のものを並べないといけません。もう並べるスペースなんて何処にもないんですけどね。

ブローチ色々

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イギリスのブローチを三点、全てシルバー製です。両端は百年前の物で、真ん中は元々は1800年頃のバックルだったのをその後ブローチに作り変えたというちょっと変わった物です。左は団扇の形をしていて彫り模様も和風で、まさにジャポニズムです。右の物は馬蹄のモチーフに鳥が飛んでいますので、縁起物ですね。珍しさで言うと三点ともどれもかなり珍しいですが、売れるかと言うと、右の物はモチーフが分かり易いので(鳥のブローチは人気がある)まだ良いのですが、左と真ん中のような個性的な物は売るのが本当に難しいですね。真ん中の物なんかは本当にカッコいいと思いますが、普通の人には人気がないですね。大きさは左から、5,6x3,0cm、2,3x2,3cm、3,1x1,8cm です。
先日友人と別所温泉に行って来ました。その帰りにレンタカーを借りて長野市まで足を伸ばしました。松本は行ったことがありましたが、長野市は始めてで、ご常連の方から時々聞いていた善光寺近くの二階にあるギャラリー、姉妹お二人でされているところが前から気になっていたので訪ねました。とても素敵な女性が営むシックなお店でした。そこで近くの美味しいお蕎麦屋さんを教えて頂き、昼食を取った後、近くのアーケードを徘徊していると古本屋があり、横広の店頭に本やCDなどが雑然と並んでいて、早速物色開始。CDをジャンル分けして置いているようなそうでないような曖昧な感じで、古本屋の店主と言うよりは野菜を一山百円で売ってるほうがピッタリくる感じの60代の店主に、「CDはどういうジャンルで分けて置いてあるんですか・・」と訊くと、「あぁ、ただ置いてあるだけですね・・」と言う素晴らしいお答えが返って来て、こちらは買う気倍増! ECMのレーベルのジャズとクラシックのCDを三枚と岩波文庫を一冊買いました。そのうちの一つが『スティルネス STILLNESS』と言うアルバムで、アルヴォ・ペルト、トーマス・タリス、バッハ、ヒンデミットなどの中世からバロック、現代音楽までを集めた素晴らしいアルバムでした。’89年に出されたものですから随分とまえですね、付録の冊子をめくると最初にこう書かれてありました。
You wish to see; Listen.
Hearing is a step toward Vision.
12世紀のセント・ベルナルド・デ・クレアヴァーと言う聖人の言葉らしいです。
恐らく原文はラテン語(又は中世のフランス語)だと思うのですが、冊子に書かれてある和訳が良くないのでここでは書きません。最初の行は、自分で見る(分かる)ことを望むなら、耳を傾けなさい、くらいの意味で、二行目は恐らく、聴くことはヴィジョンへの道なのである、くらいの意味でしょうが、この大文字の 'Vision' が問題で、多分、啓示的な現れ、もしくは聴覚を超えた深いところに現れる示唆的な幻影のようなものを指すと思うのですが。ここにある 'see' と 'Vision' は共に、単に眼を通して見て理解することを超えたある深い領域を指していると思います。
まあ、解釈は何れにせよ、シックなギャラリー、美味しい蕎麦屋、この深い言葉、と当たりの一日でした。

ブローチ色々

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