18世紀の渋いサーヴァー

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イギリス18世紀後半のサーヴァー(L. 32~34cm)です。食事の時に食べ物を取り分けるのに使う物です。金属は銅のようです。こういう用途に使う物では今まで仕入れた中で一番古い物です。今でも十分使えます。18世紀の物だけあって品の良い美しさがあります。
今から10年程前ですか、某有名雑誌の取材を受けて、原稿が雑誌に掲載される前に文章のチェックをして下さい、と言うことで取材記事の文章を見ていたら文中に「アイテム」という単語があり、それが僕にはどうも違和感があるので、「物」などの他の言葉に変えて下さいとお願いしたら、「アイテム」を他の日本語に変えると文章全体のバランスが崩れてしまい、結果取材に来られた編集の女性を酷く困らせてしまったことがあります(その女性の方はとても良い方でした)。雑誌や本にもカタカナ表記の色んな単語が溢れていますが、僕自身は恥ずかしくて、と言うか馴染めないので必要以外は余り使いません。本来漢字で表記出来るものをひらがなやカタカナに置き換えて使う時には往々にして(その漢字表記の言葉に含まれる)本質からの逃げ、意味のすり替え、嘘が含まれることが多いように思います。作家や物書きでひらがなやカタカナ表記の人は僕は余り信じませんね。名前を漢字で書かずにひらがななどに変える場合、そこには何かを隠そうとする意思、ある不誠実さが仮に無意識であるにせよ働いている気がするのです。もちろんお笑い芸人さんなどは例外です。
まあ今取材を受けて記事文中に「アイテム」と書かれたら僕は何も言わないでしょうね多分。寛容になったのかいい加減になったのかは分かりませんが。先日も某地元雑誌社に「雑貨特集」で取材させてくれと言われ承諾。アンティークは雑貨じゃありませんが、それもまあいいか、と言う感じです。それで思い出したのが昔受けた雑誌の取材記事文中で、自分が持っていた中世の古い物を「中世の物を扱う雑貨ショップ」と書かれ、この時はさすがに、日本語としてあり得ない表現、だと文句を言い訂正して貰いました。記事を書いたのは30代の男性でした。ここまで変だと怒ると言うより笑えますがね。
私のような(アンティークの)お店や趣味の専門店をやっている人にたまに偏狭と言うか、ガチガチに凝り固まったような人がいます。ちょっと相手が間違えたりすると、ピリピリしたり、または妙に恭しかったり。僕、そう言うのが嫌いなんです。だから、普通に真面目に、扱う物には拘りますが気分的には余り拘らず、出来るだけ広い心で(これは以外と難しい・・)日々やっていきたい、そう思っています。

18世紀前半のエッチング

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今回('16/5)の仕入れで買って来たもので、重かったけどスーツケースに入れて持って来ました。オーク材の額(65センチ×50センチ)に入れられた1741年英国製のエッチング、Gaspar Poussin という名の画家の描いた絵を Chatelain Sculp と言う職人がエッチングにしたもの、元の絵は当時の貴族のコレクションだったようです。ロンドンから電車で北に三時間以上行ったイングランドとスコットランドのボーダーに近い小さな街で見つけました。オークの額が重くてロンドンまで持って買えるのをためらいましたが、一緒だった友人ディーラーが、あなたが買わなかったら私が買うわよ、と脅して(?)くれたお陰で今こうしてここにある訳です。ロンドンに戻りスーツケースに入れると丸で測ったかのようにちょうどすっぽりと収まりました。同じ18世紀のエッチングでも18世紀末のモノより更に50年程古い訳で、両端のアップの写真を見て頂けるとお分かりかもしれませんが、エッチングの線の勢い、細やかさ、そして少し引いて観たときの無数の線が作る深みなどを18世紀末のものと比べると断然こちらに軍配が挙がります。特に右の写真、森の向こうに見える地平線を成す線描写の素晴らしいこと。
僕自身イギリス17,18世紀の版画にもの凄く興味があり機会があればこれからも仕入れていきたいのですが、仕入れも難しいので僕自身ももっと勉強しながら少しずつ仕入れようと思っています。数百年前の絵や版画を仕入れる時に何を基準にするのか、最終的には自分の眼を何処まで信じきれるか、それに尽きます。自分でいいと思ってもそれが無名に近い画家、職人の手になるものだと、どうしても、果たして売れるだろうかと買うのを迷ってしまいます。最近思っていることなのですが、自分の眼にもう少し自信を持つようにしました。もちろん絵画の勉強をした訳ではありませんが、この数十年どれだけたくさんの古今東西の絵を観て来たことか・・、その蓄積をもう少し信じてあげても良いのではないかと思ったのです。屋号を不遜にも「フェルメール」としているくらいですからやはり絵画は好きな訳です。
ちなみにこの版画、同じものが大英博物館に収蔵されているみたいです、後で知ったことですが。
まあそれは置いといてもやはり良い絵だと思います。

埋もれていたシルバースプーン

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昨日の夜店の裏部屋が余りに汚いので(ご常連の方々の間ではこのことは良く知られていますが・・)、閉店後階段のところに積もっているゴミなどを片付けていると、ゴミ類の中から小さな紙袋が出て来ました。袋には僕の手書きでイギリスの町の名前が書いてあります。「うん?」と不思議に思い開けてみると18世紀末のシルバースプーンが八本出て来ました。多分去年の春の仕入れで仕入れたものが紛れてしまい階段のところで眠っていたみたいです。写真のスプーンがそれです、1790年代にロンドンで作られたものです。改めて見てみると、これが中々味のある美しいスプーンで、思わずうっとりしながらも、自分のいい加減さに今更呆れもしませんが、やはり掃除はすべきだなと思いました。知らずに階段のところでこのスプーンを踏んだりしなくて良かったです。
この時代のイギリスのシルバースプーンも僕がアンティークの世界に興味を持つようになる入口の一つだったような気がします。25年ほど前のアイルランド、ダブリンで18世紀末のシルバースプーンを何本か手に入れ、その地味ではあるが繊細で優美な姿に魅入られたのを今でも懐かしく思い出します。あの頃の自分はまだアンティークの世界も殆ど知らずに日本語教師と翻訳のバイトで稼いだお金をパブのギネスやアンティークに散財して、日々のんびりと、鬱々と過ごしていました。20代も終わりに差し掛かり、海外でプー太郎をしながら将来の展望も摑めず、ただバブルで浮かれていたあの頃の日本が嫌いで何となく西ヨーロッパの端で過ごしていたのです。それで、当時のアイルランド人の彼女が金沢の大学に研究に行くと言うので、それもただ何となく軽い気持ちで付いて来て、彼女は帰国し僕はその後この店を開き今に至り、なんと今年で金沢24年目とは驚きです。24年前の金沢は今より余所者も少なく、無職で身寄りもなくふらっと外国人の女に付いてやって来た「馬の骨」は余程怪しく映ったらしく不動産屋や銀行ではホント、相手にされませんでした(まあ、今でも大体相手にされませんが・・笑)。

中国製のティー・カップ

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久しぶりにホームページの更新をします。ここ二週間程かなりひどい風邪と痛風で唸っておりました。風邪が治ったと思ったら痛風がやって来て、しかも一度に両足。一度に両足が痛風にかかるとどうなるか、まあ、歩けなくなると言うか、足が前に出なくなるのです。一応店は開けていましたが毎日家で、寝て寝て寝まくりました。誰しも病気になると色々考えますね。僕も今回は色々自分の生活について思いを巡らしました。それで、決心したことが二つ。一つは大好きなパイプを週二回に減らすこと、もう一つは出来るだけ(インター)ネットをしないこと。パイプは喉のため、そしてネットは眼のためというか、人間性回復のために。ここで話すような内容ではないので、また何時かトークショーなどで詳しく説明するつもりですが、この僕たちのケータイ、ネットを中心とする現代社会の過度な利便性は僕たち人間から人間性、人間らしさを奪っているという結論にほぼ(自分が)達しつつあるからです。後はインターネット社会は進めば進むほどネット先進国であるアメリカに利するように作られている気がしてそれもイヤなのです。まあでもそんな理屈より、読みたい本で読んでいないのがたくさんあるのでネットは出来るだけ控えようと。それと、ネットに触れすぎると人間本来の勘が鈍る気もしています。僕たちの仕事は勘が命ですから。それとも何れ人間の勘も完全に分析され、人に変わって人工知能が勘を代行してくれるのでしょうか。人間が人間であることを諦めているような社会が到来しています。恐ろしい限りです。
さて、今日の写真は18世紀後半に中国でイギリスに輸出するために作られたティー・カップです(口径7,7センチ、高さ4,5センチ)。元はソーサーもあったはずです、金直しは日本でしました。18世紀、いい時代ですね、僕の憧れる時代です。

Snuff Box (嗅ぎタバコ入れ)

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18世紀後半の嗅ぎタバコ入れ(口径8センチ、高さ2,7センチ)、イギリスのもので、時代は18世紀後半です。内側は漆が塗られていて、外はエナメル彩です。中央には生命(いのち)の樹(Tree of Life)が描かれています。全体のデザインからして、持ち主が我が妻の多産なることを願っていたのではないかと想像します。細かい説明は敢えてしませんので、このデザインからご想像下さい。少し前にこの箱を眺めていてそう思いました。100パーセントの自信はないですが多分正解だと思います。
小さな箱は好きでなるべく仕入れるようにしています。この写真のような珍しいデザインのものを見れば、出来るだけ買います。理由は簡単、変わった箱は二回は見ないからです。でも、売るのも難しいですね変わった箱は。それを気に入った人がそれを手に取って、買って行ってくれるまで長いこと待たないといけません。何年も売れなくてショーケースに入ったまま、たまに手に取ってみて、「何で売れないんだろ〜、良いのにな〜」なんてことを繰り返していると、ある日突然売れるのです、「突然」は当たり前ですね。そうすると逆に淋しいのですよ、それがないのが。「あれっ、ちょっと前までここにあれがあったのにないよ」と心の中で思うのです。売れても気になる、売れなくても気になる、自分の好きなものが「売れる」ときはそんな気分です。
最近、箱を買って行かれる女性が多いです。箱は何も入れなくてもその中に空間がある、閉じられた空間を所有する楽しさ。その閉じられた空間は200年以上もこうして変わらずそこにある。その空間を買うようなところもあるのでしょうか、どこかしら。箱の魅力は本当に不思議です。何が魅力か良く分かりませんが、プレスでポンと作られただけの量産の箱じゃ嫌なんですよね、その量産箱には個性はないですから、そこにあるのはものを入れると言う機能だけなんです。
と、理屈を捏ねてみました。ソーリー!