オールド・デカンター(その2)

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さすがに奇麗な物なので写真が三枚では収まりません。この右の写真、中々気に入ってます。逆光で暗く光るデカンターの左後ろにぼんやりとツツジが咲いています。向かいの病院の花壇に咲くツツジが今満開なのです。このデカンターは貴族や豪商などが使った物なので、ガラスの生地も薄く青みを帯びていますが、逆光で明度を落として写真を撮ると、ガラスがこんな色に写るのです。奇麗でしょ、と自画自賛。まっ、いいかたまには自賛しても。
これにロゼのワインなんか入れたら奇麗でしょうね。入れなくても十分に奇麗ですが、ふとそんなことを今思いました。それにしてもこのグラスよく250年以上も無事に割れずに生き延びて来たものです。どんな召使いやご婦人がこれからワインをグラスに注いでいたかを想像すると不思議な気持ちになりますし、18世紀の上流階級の英語など聴いてみたいものです、もし可能ならば。

オールド・デカンター(その1)

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イギリス18世紀前半から半ばに作られたデカンターです(高さ25,5㌢、底部口径8,7㌢)。下のほうにカット、胴のところにグラヴィールが施されています。300年近く前の物なので今まで仕入れたデカンターで一番古いですね、それに一番奇麗です。上品ですね、これぞイギリス18世紀の気品と色気を備えていて毅然としています。イギリス18世紀の物に宿る「色気」は、どこまでも抑制が利いていて上品、観る者に媚びると言うことが全く、本当に全くないのです。だから近寄りがたくもあり、分かり難くもあります。モーツァルトの音楽が18世紀に産まれたように、「18世紀」と言う時代にはその後に続く時代には失われてない「気品」があります。産業革命の隆盛と共に、芸術作品や工芸品に内在する「糸の張り」のごときものが、弛んでくるのです。一見華やいでいるように見える物は実は「弛緩」でもあるのです。
タンブラーもこのくらいの美しさを備えると、何も入れないで眺めているだけで惚れ惚れします。

スペインの水指し

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18世紀後半のスペインの水差し、というよりジャグ(高さ約12センチ、口径約8センチ)。数年前にオランダで仕入れました。オランダ人ほど外国の物を上手く取り入れてオランダの風景の中にさり気なく同化させてしまう人たちは少ないと思います。だいぶ前の事。アムステルダムの運河沿いのギャラリー前を歩いていると、大きな写真が額に入れられ堂々とこちらを向いて飾られています。真っ赤な着物を着た若い日本人の女性が股を少しだけ開き気味に、猫顔で斜め上を見上げるようにして椅子に座っています。腰から下は着物が叩けて全てがそのまま覗いています。それが何故か全く嫌らしくなく、運河沿いの静かな通りの雰囲気を乱すどころか、その全てを肯定しているような飾り方がとてもオランダ的で、「異物」を上手く同化させていました。確かアラーキーの写真だったと思います。
こういう小さな水差しは、花を入れるのには小さいし、花が描かれているので、花を活けると「花」が重なりくどくなりますし、やはり飾って眺めるのがいいのでしょうか。色絵も大雑把で平面的にしか描かれていませんが、それでも魅力があります。でも、何かの用途に使ってみたい気持ちにもなります。これにお酒を入れてみたらどうだろう、とか。
日本人は「ものを見せる」のが未だ余り得意ではないようです。タブーとされているもの、皆が避けて通るものを敢えて前面に出してきて、誰にでも見えるところにドーンと置く。その存在自体、それがそこに置かれたことがもうトリックスターの要素を備えているような、「見せ方」です。恐らく日本が広場の文化ではなく、路地の文化であったことなども、関係あるかもしれません。この国がもっと垢の抜けた場所になるといいなと思っていますが、どこか最近後退気味ですよね。クール・ジャパンなんて言い出した頃から「怪しい」ですよね。

水牛の角のタンブラー(続き)

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(下に掲載している記事の続きです)タンブラーが奇麗で、写真を三枚に絞ることが出来ず追加の写真を載せました。美しい茶碗のように、違った角度から眺めると表情が変わります。どこが「表」と言うこともなくどこから眺めても本当に美しいのです。このタンブラーを眺めているとイギリス18世紀特有の色気を感じます。

水牛の角のタンブラー

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18世紀後半の水牛の角で作られたタンブラーというかコップです。もちろんイギリス製(高さ8,8センチ×口径6,8センチ)です。18世紀のものは19世紀のものと比べると、全体の形や特に飲み口のエッジの美しさが優れています。もっと裕福な人が所有したものだと縁に銀を巻いたものもありますが、僕はこのほうが好きです。角の反り具合、エッジの表情、角の模様が自然に美しく、それに経年の小さな瑕が幾つも入り、それすらもが模様の一部のように表面に沈み込んでいます。これで何も飲まなくても、手に取り間近に眺めているだけで安らぐものがあります。
これを書きながら、今日はヘンデルのピアノソナタを聞いています。昔の録音で、リヒテルとアンドレイ・ガブリーロフが交互に弾いてます。どちらも素晴らしく、古いものを眺めるのに邪魔になりません。
こうやってイギリスの18世紀のものを観ていると、朝鮮の骨董や和骨董の寂びたものに通じる美しさがありますね。「和」、「洋」と区別するのが無意味なくらい互いに通じ合うものがあります。日本には茶道という芸術がある弊害で、時に骨董品の世界も奇妙なヒエラルキーがありますが、イギリスでは渋いものは以外と昔の庶民の日常品の中に見つけることが出来ます。