木のスプーン(その2)

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取っ手部分の雰囲気は丸でヴァイオリンか何かの弦楽器を見ているようですね、裏の貝模様のような彫りは、同じような模様がもう少し後の時代のイギリスのシルバー・スプーンにも見られます。恐らくソース・スプーンだと思います、これで肉汁なんかも肉の上にかけたのでしょうか。でも、300年前と言えば、フォークもさほど普及しておらず、きっとかなり野蛮な食べ方だったと思うのですよ、でも何故こんなまでにこのスプーンのフォルムは繊細なの?と思いますが、恐らくその時代が「当たり前」のように求めるライン(線)がそれほど細やかだったと言うことでしょうか。これ程繊細且つ力強く美しい物に囲まれている18世紀初頭の生活を想像すると、不思議な恍惚感を覚えますし、そこに生きていた人間もそれと同等の、物に比例した魅力を備えていたと思っていいでしょう。物と人は比例するんですね、きっと。物も薄くなると、人も薄っぺらになる。不可逆性のない下降運動のようです残念ながら。
「機能美」とかそんなモンキリ言葉を言うよりも、ホント、奇麗でしょ。もうそれだけです、奇麗、うっとり、スプーンを持つ手が自然と和らぎます。触るだけで本当に愉しいものですねこれは。

木のスプーン(その1)

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今回の仕入れで仕入れた物、凡そ300年前の木のスプーンです。もちろんイギリスの物、Sycamoreという木で作られていて、イチジクの木らしいです。長さ約13センチ、ボール部分の大きさ約4センチ。このようなアンティークはイギリスのアンティークの世界ではTreen(トゥリーン)というジャンルに入り、最もマニアックなものです。専門のディーラーがいますが、Treenのものだけで店を開いている人は多分いないでしょう、見たことないです。それだけ物も少ないし最近は高価で売買されます。ぼくも18世紀の木の物はとても好きなのですが、何せ仕入れが難しいです。でも、今回はたまたま運良く、こんなに美しいのが入りました。今まで仕入れた木のスプーンで断トツ最高の魅力です。

オールド・デカンター(その2)

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さすがに奇麗な物なので写真が三枚では収まりません。この右の写真、中々気に入ってます。逆光で暗く光るデカンターの左後ろにぼんやりとツツジが咲いています。向かいの病院の花壇に咲くツツジが今満開なのです。このデカンターは貴族や豪商などが使った物なので、ガラスの生地も薄く青みを帯びていますが、逆光で明度を落として写真を撮ると、ガラスがこんな色に写るのです。奇麗でしょ、と自画自賛。まっ、いいかたまには自賛しても。
これにロゼのワインなんか入れたら奇麗でしょうね。入れなくても十分に奇麗ですが、ふとそんなことを今思いました。それにしてもこのグラスよく250年以上も無事に割れずに生き延びて来たものです。どんな召使いやご婦人がこれからワインをグラスに注いでいたかを想像すると不思議な気持ちになりますし、18世紀の上流階級の英語など聴いてみたいものです、もし可能ならば。

オールド・デカンター(その1)

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イギリス18世紀前半から半ばに作られたデカンターです(高さ25,5㌢、底部口径8,7㌢)。下のほうにカット、胴のところにグラヴィールが施されています。300年近く前の物なので今まで仕入れたデカンターで一番古いですね、それに一番奇麗です。上品ですね、これぞイギリス18世紀の気品と色気を備えていて毅然としています。イギリス18世紀の物に宿る「色気」は、どこまでも抑制が利いていて上品、観る者に媚びると言うことが全く、本当に全くないのです。だから近寄りがたくもあり、分かり難くもあります。モーツァルトの音楽が18世紀に産まれたように、「18世紀」と言う時代にはその後に続く時代には失われてない「気品」があります。産業革命の隆盛と共に、芸術作品や工芸品に内在する「糸の張り」のごときものが、弛んでくるのです。一見華やいでいるように見える物は実は「弛緩」でもあるのです。
タンブラーもこのくらいの美しさを備えると、何も入れないで眺めているだけで惚れ惚れします。

スペインの水指し

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18世紀後半のスペインの水差し、というよりジャグ(高さ約12センチ、口径約8センチ)。数年前にオランダで仕入れました。オランダ人ほど外国の物を上手く取り入れてオランダの風景の中にさり気なく同化させてしまう人たちは少ないと思います。だいぶ前の事。アムステルダムの運河沿いのギャラリー前を歩いていると、大きな写真が額に入れられ堂々とこちらを向いて飾られています。真っ赤な着物を着た若い日本人の女性が股を少しだけ開き気味に、猫顔で斜め上を見上げるようにして椅子に座っています。腰から下は着物が叩けて全てがそのまま覗いています。それが何故か全く嫌らしくなく、運河沿いの静かな通りの雰囲気を乱すどころか、その全てを肯定しているような飾り方がとてもオランダ的で、「異物」を上手く同化させていました。確かアラーキーの写真だったと思います。
こういう小さな水差しは、花を入れるのには小さいし、花が描かれているので、花を活けると「花」が重なりくどくなりますし、やはり飾って眺めるのがいいのでしょうか。色絵も大雑把で平面的にしか描かれていませんが、それでも魅力があります。でも、何かの用途に使ってみたい気持ちにもなります。これにお酒を入れてみたらどうだろう、とか。
日本人は「ものを見せる」のが未だ余り得意ではないようです。タブーとされているもの、皆が避けて通るものを敢えて前面に出してきて、誰にでも見えるところにドーンと置く。その存在自体、それがそこに置かれたことがもうトリックスターの要素を備えているような、「見せ方」です。恐らく日本が広場の文化ではなく、路地の文化であったことなども、関係あるかもしれません。この国がもっと垢の抜けた場所になるといいなと思っていますが、どこか最近後退気味ですよね。クール・ジャパンなんて言い出した頃から「怪しい」ですよね。